2021年09月12日(日) |
芸術や文化を守り続けること |
携帯用URL
| |
|
オレは伊藤若冲が好きなのだが、彼が活躍した時代の上方文化というものに大いに興味がある。円山応挙や池大雅といった絵師たちとも交流があり、さまざまな出自の者たちが弟子となったりして夢を実現しようとした。絵師たちの出自もさまざまで、武士や僧侶や商人から絵師になるものもいれば、農民出身の者もいた。ある程度身分が固定化されていた近世の日本で、そうして芸の道で食べていくことを目指す生き方ができたということがとても不思議なのだ。そして絵師が職業として成立するためにはそれを買えるだけの金持ちがいないといけない。ある程度の豊かさがあって初めて成立する文化なのである。
伊藤若冲は寺の画僧でもなく、大名の御用絵師でもなく、偉大なるアマチュアだった。実家が青物問屋でゼニに余裕があったので高価な岩絵の具を入手することも可能だったし、時間の制約なく大作を手掛けることもできた。彼の大作である「動植綵絵」は宮内庁のお宝となっていて国宝に指定されている。そうした作品が成立した背景には、江戸時代の京都、大阪に豊かな町人文化が形成されていたからだとオレは思うのである。
今の時代はどうか。少し前まではお笑い芸人となってM1グランプリで優勝すればその後はテレビ番組のレギュラーがもらえてという一つのサクセスストーリーがあった。一度M1優勝のタイトルを手に入れれば、競争にさほどさらされることもなく安定したギャラが保証されるのがお笑い芸人の世界なのかも知れない。バラエティ番組でよく見かけるお笑い芸人というのは過去に一度でも優勝した者たちが多い。何も工夫しなくてもそうした芸人を出してるだけでテレビ番組は勝手に成立するようになった。文化が極端に薄っぺらになってしまった姿である。
かつての大阪には文化や芸術を愛する人たちが大勢いて、それは船場の商人であったり松下幸之助のような企業の創業者だったりした。阪急創業者である小林一三もそうだが、実業家としての金儲けだけではなく、宝塚歌劇を作ったりもした。もちろんそれも最終的には金儲けにつながるのだが、文化的な価値が金銭的な価値にもつながったのはある意味幸せな時代だったのかも知れない。
今の大阪は本当に薄っぺらな街になったと思う。吉本興業の芸人たちは体制翼賛芸人となって権力にすり寄り、老舗の名店は次々と廃業していく。歴史や伝統のある学校が廃校になってその跡地にはどこにでもあるような商業施設が建てられる。
かつての上方文化の精神を支えていた人たちはもうほとんどこの世にはいない。上方落語の中に存在した痛烈な体制風刺の精神も今の吉本の笑いの中には存在しない。時代はどんどん移り変わるわけで、そういう感傷もオレのただのノスタルジーに過ぎないわけだが、それにしても寂しい限りである。
大阪には公立の美術館や博物館がたくさんあるが、学芸員の待遇はあまりよくない。非常勤の職員が増え、いずれ研究施設としての機能も果たせなくなっていくだろう。価値ある美術品もいつしか粗雑に扱われるようになり、紛失や盗難ということも起きるかもしれない。収蔵品がなぜかメルカリで売られていたということになるかも知れない。学芸員という仕事を正当に評価しないというのはそういうことにつながるのである。
←1位を目指しています。
前の日記 後の日記