2021年08月11日(水) |
タトゥーなんかするなよ! |
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東京五輪に参加した海外のスポーツ選手にはタトゥーを入れてる人がとても多かった。これを見て多くの日本のDQNは「カッコいい! オレもタトゥー入れたい」と馬鹿なことを考えたはずである。だからDQNなのである。
日本ではタトゥー(刺青)を入れてるのは基本的にヤクザである。それがヤクザと一般人の明確な区別の役割を果たしてきた。本人がいくら「一般人」と主張しても全身タトゥーの清原和博はオレから見ればヤクザだし、彼の覚せい剤使用などの行動歴から「タトゥーしてるやつは反社会的集団そのものかその周辺人物である」という判断をされてもおかしくないのである。
ヤクザがタトゥーを入れるのは「オレはヤクザ」という意志表示である。自己のアイデンテティをそのタトゥーで表してるのだ。これはDQN高校生が髪を染めて茶髪や金髪にしたりすることと同じで「オレは普通じゃない」「オレは勉強なんかしない」という外部への意思表明である。ただ髪色は簡単に元に戻せるが、タトゥーはそういうわけにはいかない。だからこそ暴力団は簡単に組から抜けないようにとタトゥーを入れさせるのである。それが日本社会でのタトゥーの位置づけだ。これは歴史的に定着したものである。
海外でタトゥーしてる人が増えてるから日本でも認めろなどという主張をする馬鹿がいるが、そもそも健康リスクのある行為を自分からする人間は馬鹿だと日本が逆に世界に向かって発信すればいいのである。「日本ではタトゥー入れてる人は差別されます」という事実を正しくアピールすべきである。肌の色とか人種は先天的なものだが、タトゥーはあくまで自ら選び取ったものである。日本社会ではタトゥーを入れてる人間は馬鹿として差別されるという事実を知ったうえでそのリスクを選んでそうしているのである。作家の吉本ばなななんかもその一人である。オレは馬鹿の書いた本は読みたくない。作家ならタトゥーではなく作品で勝負すべきである。
タトゥーやピアスは未開な野蛮人の風習である。日本でそれが普通だったのは邪馬台国の時代である。現代人はそんな野蛮で愚かなことはしないということを共通概念として持ってほしいのである。鼻ピアスとか舌ピアスとか、そんな痛いことをわざわざ自分からするというのは極端な馬鹿だとオレは認識している。まさにDQNの風習である。
おそらく「海外ではファッション」「日本は遅れてる」という主張をしてタトゥーを認めさせようとする馬鹿がこれから増えてくるだろう。オレはそういう主張は断じて認めない。もしも息子が「タトゥー入れたい」と言い出すともう勘当だ。親子の縁を切るしかない。まともな人間であることをやめるという主張と同じだからだ。オレの価値観ではタトゥーを入れる行為は覚せい剤や大麻に手を出すのに等しいレベルの行動なのだ。
若い頃に馬鹿だった男女が、結婚して子ができてから自分が入れたタトゥーに関して後悔して除去手術を受けようとすることが多いらしい。一度タトゥーを入れてしまうと恥ずかしくて自分の子どもと一緒にプールや海水浴には行けないというということを想像して欲しい。将来の人生を考えるとやはりタトゥーなんか入れるべきではない。オレはタトゥーに対してこのような強い偏見を持っている。こんなオレを「差別主義者」だと罵る人もいるだろう。オレはあえてそういう批判も受け止めたい。タトゥー反対の主張は絶対に変えない。ただ世の中には一定割合で馬鹿とかDQNが存在し、そいつらが自分を周囲と区別してもらいたいからとタトゥーを入れることまでは否定しない。そういう連中は「自分は馬鹿」という目印としてわざわざ入れてくれてるのだとオレは認識している。
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