小中学生一人一人にパソコンを配布して使えるようにするGIGAスクール構想にはどんな意味があるのか。オレはその目的はただ一つ、国民を全員馬鹿にするということだと思っている。従来型のノートやエンピツを使う学習方法と比較して、決してタブレットやパソコンを使う方が効果が上がるとは限らないし、むしろマイナスだからである。
それはデータでも示すことができる。たとえば教育のICT化が日本で1位の佐賀県は、全国学力テストでは43位である。逆にICT化率が全国最下位の秋田県は誰もが知る教育先進地域であり、学力テストは1位である。GIGAスクール構想というのは日本中を佐賀県のようにして学力低下を狙うという国家的なプロジェクトなのだ。そして国民が馬鹿であればあるほど為政者には都合がいいのである。オレのようにいろんなことがよく見えている人間は国家にとってじゃまなのである。
勉強が嫌いでやる気のない生徒がパソコンやタブレットを与えられたら急にまじめに取り組むようになるかというとそんなことは全然ないのである。そうした道具では人間は変えられない。むしろ新しく持たされた道具で遊ぶだけである。やる気のない生徒がますます先生の話を聞かなくなり、授業以外のことにのめり込むようになるのだ。現にタブレットを配布した公立の小学校中学校ではさまざまなトラブルが起きている。親がタブレットを売り飛ばしたような事例も大阪では報告されている。
勉強嫌いの生徒を勉強好きにするために何が必要か。それは道具ではなく能力のある教師の存在である。しかし教育現場は待遇がどんどん悪化し、ブラックな職場ということが知れ渡ってしまったために教員採用試験の倍率はどんどん下がり、いい人材を集めることがとても困難になってしまった。仕事がきついのに給料が安いところに人が集まらないのは自明の理である。
教育のICT化の目的は、国民の学力向上ではなく巨大IT企業やパソコンメーカーに利益をもたらすためである。文部科学省の持つ一つの利権として意味しかないのである。だから学校に納入されるタブレットやパソコンはかなりのぼったくり価格であり、その利益の一部は政治家への献金に化けたりするし、おそらく文部官僚はそうして利権を得る企業に天下りするという仕組みがもう完成しているのだろう。国民にとって何一つプラスはないのである。
現場の教員は忙しい。それがこのICT化に対応するためにさらに仕事が増え、忙しさが増しているのである。せめてそのしんどさに対してゼニで報いるべきだと思うのだが、維新の会のように人件費をどんどん下げればそれでOKなどと考えてる連中が政治の世界には多いのである。
←1位を目指しています。
前の日記 後の日記