2020年07月22日(水) |
今こそ「韓非子」の教えを知れ! |
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「韓非子」の中に次のようなことばがある。
「夫れ智は性なり、寿は命なり。性命は人の学ぶ所に非ざるなり。」
(そもそも知恵は生まれつきであり、寿命は運命である。生まれつきと運命とは人から学び取るものではない。)
オレは人間の能力とは平等とは思っていない。生まれつき賢い奴もいればそうでない者もいる。もっともそこに努力が加わって結果が変わるわけだが、天性の素質のあるなしというのはすごく大きいと思っているし、それは遺伝的に左右される。素質があっても全く努力しないで終わる者もいれば、素質に恵まれなくても人一倍努力して難関校に合格する生徒もいるのは事実である。韓非子はこの論を「あなたを必ず知恵に優れて長生きできる人にしよう」という人がいればそれは必ずでたらめだという主張の中で使っている。
韓非子は続けてこのように語る。
「仁義を以て人に教ふるは、是れ智と寿を以て説くなり。」
(仁義を人に教えるというのも、つまりは知恵と長生きを説くのと同じことである。)
仁義を教えるということは、今なら道徳教育のことなどがそれに該当するだろう。そんなものは教えられないし、古代の聖王の事績を語ったところでそれは単なる歴史上の知識であって、それを聴いた人を道徳的に向上させるものではない。多くの生徒がノーベル賞の受賞者のニュースを聴いたところで「ふーん」と思うだけであり、そこで「よし次はオレが!」と必死で勉強をやりだすわけでもない。道徳教育なんてことが意味がないことは教育現場にいる人たちはみんなわかっている。わかってないのは政治家とテレビでくだらないことを語ってる馬鹿評論家たちである。
ただ、韓非子がすぐれているのはその後のたとえ方である。韓非子は次にこのように語っている。
「故に毛嬙、西施の美を善(よみ)すとも、吾が面に益無し。」
(だから毛嬙や西施の美をほめそやしたとしても、自分の顔には役に立たない。)
毛嬙や西施というのは歴史上の伝説となっているレベルの美女のことである。いくら美女のグラビア写真を眺めたところで自分が美女になれるわけでもない。全くそのとおりである。
「脂沢粉黛を用ふれば、則ち其の初めに倍す。」
(口紅や髪油、白粉や眉墨を塗ったならば、もとの倍にも美しくなるのだ。)
全くそのとおりである。お化粧によって美しさは倍になるということである。すっぴんなら目立たない容姿の人が、まるで別人になってしまう最近のメイク技術はすごいのである。古代の聖王の事績を語り、その仁義を語ったところで実際の政治に役立つものではない。大切なのは自国の法律をはっきり立てて、賞罰を厳正にすることであり、それは国にとっての「脂沢粉黛」である。だから賢明な君主は政治に役立つものを急務として、古代の賛美などは後回しにするという。だから仁義を口にしないのである。
オレが何を言いたいのか、もう察しのいい方はわかってくれているだろう。道徳教育などする前に信賞必罰である。コロナ禍で人々が苦しんでる中、医療現場で過労死寸前で必死で頑張ってくれている人たちの苦労に報いること。悪いことをした人にはちゃんと罰を与えること。上級国民であってもアベトモであってもちゃんと罰を受けさせること。それこそが国家がもっともすべきことなのである。悪いことをしても罰を受ける人とそうでない人がいるという状況下でどうして子どもに道徳を説けるのか。明らかに選挙違反をしているのにウソばかり語って開き直ってる安倍晋三をどうして検察は検挙しないのか。
政府の「強盗キャンペーン」の手数料は巨額であり、そのおこぼれにあずかるのは竹中平蔵のような政商であったりする。また観光業界に落ちるゼニは回りまわって自民党への献金となる。支出した税金は実は身内の利益につながっているわけで、国難を利用したただの小遣い稼ぎであり、政府はこんな姑息なことをドサクサ紛れにやろうとしているのである。はっきり言って安倍晋三をはじめとする与党のトップは人間のクズである。代わりがないとかいう前に、とりあえずそんな外道どもから権力を剥奪してもらいたいのである。オレは心底そう思うのである。腹が立って仕方ないのである。
キャンペーンによって電通はどれだけ儲かるのだろうか。広告業界から政府にはどれだけ献金があるのだろうか。そうした裏事情はほとんど国民に明かされないままにキャンペーンは進んでいく。そもそも「GO to トラベル」という和製英語がおかしいのである。「旅行に行く」という意味なら「Go on a trip 」である。
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