2020年05月22日(金) |
スポーツカーに乗らないということ |
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毎朝、通勤時に必ずすれ違うクルマがある。自分と逆方向にクルマ通勤しているということなんだろう。青いスカイラインGT−R(R32)と、黄色いFFセリカ(シートまでレカロ製黄色)である。おそらく彼らは同様にオレが依然乗っていた真っ赤なS660に気づいていて、同様に思っていたのかも知れない。あのS660はどこに逝ってしまったのか。まさかダイハツロッキーという全く違ったコンセプトのクルマに乗り換えたなんて思ってもみないだろう。
かつて自分が所有していたS660を見かけると、なんだかなつかしくなる。そして一昔前の日本車には優れたデザインのものがたくさんある。いすゞビークロス、日産180SX、スバルアルシオーネSVXなどである。そうした「乗ってるだけでなんとなく趣味のよさを感じさせてくれるような日本車」はどうして絶滅してしまったのだろうか。
スバルBRZが発売されたとき、オレはディーラーに観に行って、駐車スペースでそのBRZの隣にオレのFTOを並べて駐車した。カタログをもらって帰り際にその2台を並べてみたとき、どう考えても自分の乗ってるFTOの方がずっとカッコよくて、スポーツカーらしく見えた。それでBRZを買うことはなかった。
三菱FTOに乗っていた頃、コンビニの駐車場で何度も知らない方から「これはなんというクルマですか?」と話しかけられたことがあった。赤いS660に乗るようになってからは子どもが指さして喜ぶようになった。子どもは基本的にかわいくてカッコいいものが好きである。それを運転しているオッサンはどうでもいい。
おれは長いことそうして趣味性の高いクルマを乗り続け、最後にS660という非実用性の極致のような不便なクルマを選び、その不便さを楽しみつつも最後は「無理」と感じて卒業した。そういうオレがセリカやGTRに乗っている人たちに対して感じるのは、うらやましさとうしろめたさなのである。軟弱なクルマに逃げてしまった自分が裏切り者であるようなそんな恥ずかしさを感じてしまうのである。オレは最後まで硬派を貫かずに日和ってしまったのである。
世間には70代、80代になっても相変わらずスポーツカーをMT車で運転する人たちがたくさんいる。まだ60にもならないオレがMTを選ばずにATにしたのは早すぎる選択だっただろうか。
ダイハツ・ロッキーは乗車姿勢が楽で疲れずに長時間運転でき、視点が高いので周りをよく見ながら安全運転でき、しかもスマートアシストという機能でさまざまなアラームやセンサーが運転を支援してくれる。バックするときは真上から見た状態でナビに表示されるので車庫入れもとても楽である。そうした現代のクルマに普通に装備されているものを長いこと自分は拒否してきたのである。カーナビを使うようになってからまだ5年にもならない。それまでのオレは「ナビなんて地理を知らない馬鹿の使うもの」だと見下していたし、アクセルとブレーキの踏み間違いによる大事故の報道に接するたびに「やっぱりATはダメだ」と言い続けてきたのである。今のオレは「いやはやAT最高!」なのである。
クルマの進歩についていくことを拒み、古い価値観を守り続けてきた自分が「結局はただの頑固なジジイだった」ということに気づき、今は「クルマの進化万歳!」という立場になったのである。
もうオレは二度とスポーツカーを所有したいなんてことにはならないだろう。運転してるだけで肩や腰が痛くなるような乗り物は老人には合わない。オレは免許返納の時まで軟弱なクルマを選び続けるのだろう。そうした価値観の変化を寂しく思う一方で、最初から軟弱なクルマしか候補に考えない今の若者たちに対して、少し残念にも思うのだった。
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