2020年05月20日(水) |
なんのために官僚になったのか? |
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公文書を改ざんするような犯罪を行った官僚がそのあと栄転することになってるのは、森友学園の問題で国民に対して明らかになった。首相のお友達の性犯罪を見逃すように指示した警察官僚も出世した。このように日本では正義よりも悪徳の方が価値があるのが官僚の世界である。国民に奉仕するのではなく、ただひたすら政治家の方を向き、政治家の利権のために便宜を図り巨悪を見逃し、変な正義感を持ったおかしな部下がいたらパワハラで締め付け最後は自殺に追い込む。それが官僚の今の姿である。どうしてこんなひどい国になったのだろうか。
もしも官僚が公文書を改ざんしたり、統計を偽装したりするという犯罪行為を行えば海外ではどうなるだろうか。死刑になったり終身刑になるというのが普通の国である。その職業には本来高い道徳観が求められ、選ばれた者しかその職業には就けないというのが本来の官僚の在り方ではなかったか。不道徳を自覚し、国民に奉仕するよりも自分のために自分の時間を使いたいというオレは地方公務員が務まらずに辞めてしまったのだが、もしも官僚という職業を目指していれば今とは全く違った人生があっただろう。ゼニの亡者になってひたすら政治家の走狗として働いて、官房機密費からおこぼれをいただいてそれで高級車を乗り回し、銀座のクラブで豪遊していたかも知れないのである。青臭い正義感とか変なプライドなんか捨てたほうが人間は楽である。
まっとうな人間は赤木さんのようにストレスに心身をやられて自殺や退職に追い込まれ、悪に対して鈍感でゼニや出世のためと割り切ることができた佐川宣寿のようなクソ野郎はどんどん出世の階段を上っていける。それが残念ながら日本の官僚の世界なのだ。今、法学部なんかで学んでいて官僚を目指している大学生の方々は、そのような状況をすべて理解したうえでその世界に飛び込むのだろうか。
正義とはなんだろうか。人として正しい行為とは何か。ときどきオレはそれがわからなくなるのである。正義を貫こうとして自殺をしてしまった赤木さんは、自分が死んだ後で妻の悲しむ姿を思えば節を曲げて佐川宣寿の手下になって割り切って悪事を手伝えばよかったのだろうか。正義のために死ぬことよりも、卑怯でもいいから生きていてほしいと願うのが家族の心情ではないのか。
「アンパンマン」の作者、やなせたかしさんの弟は、京都帝国大学の法学部の学生だったが海軍に志願し、あの人間魚雷「回天」の搭乗員として移動中に母艦が撃沈されて戦死した。戦前のあの時代は家族のために生きることよりも、国家の大義のために死ぬことが美徳とされた。あの時代に非国民と呼ばれ、卑怯者と笑われるのは勇気が必要な生き方だった。あの時代と今といったい何が変わったのか。自分の顔を食べさせて人を救うアンパンマンの崇高な自己犠牲の行動は、その特攻が国土や国民を守る唯一の方法だと信じて海に散った弟さんのことを思い浮かべて書かれたのかも知れない。
人はなんのために生まれてきたのか。どんな使命を持ってこの世に生を享けたのか。高給官僚となれる学歴や知識を持ち、家庭に恵まれてレベルの高い教育を受けることのできた人たちは、何を目的として生きるのか。安倍晋三のような嘘つきのクソ野郎をかばうために官僚になったのか。
上が腐れば下まで腐っていく。息を吐くように嘘をつく人間が最長期間総理として君臨してしまった日本は上からどんどん腐っていった。腐った方がみんな楽だった。腐りたくない人間は自殺や退職に追い込まれた。
オレはもうすぐ教師としてのキャリアを終えることになる。その後一人の無職の老人としてひっそりと生き、いずれこの世から退場していく。残されたわすかな時間で生徒たちに何を説けばよいのか。正義を貫くよりも卑怯者として生きたほうが楽だと教えるのか。
世の多くの人たちの絶望も、国民の声も、この国を自分の思い通りに動かして豊かな生活を享受している人たちには届かない。そのうちどっかの馬鹿な独裁者が戦争を起こして世界が滅ぶ。オレにとって何か幸運なことがもしもあるなら、早く死んだことで世界の滅亡を見ないで済むことかも知れない。
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