オレの母は昔から手先が器用で、ミシンでいろんなものを作ってくれた。最近は幾何学模様の鍋敷きをたくさん作って、それをどんどん人にあげていた。オレも母からたくさん鍋敷きをもらって、それを職場でお世話になった人に配ったことがある。
「こんなものを作って欲しい」と伝えると、工夫して作ってくれる。ホンダ・S660を運転していて左ひじの当たる部分が硬くて痛いと思っていたら、ぴったりとそこに会う長さのアームレストを作ってくれた。S660の純正用品で出してもらいたいような便利グッズである。
今、母が作ってるのはマスクである。アベノマスクのようなあごがはみ出る不良品じゃなくて、きちっと立体的に裁断された顔によくフィットするマスクである。いろんな色の端切れの生地を使うので、ペンギン柄やイルカ柄などがあってとてもかわいい。一定数作ったものが貯まればそれを近所の薬局に持っていく。「お客さんがマスクを買いに来たらあげてください」と店主に伝えているという。
母と一緒に食品や日用品の買い出しに出かけた時、オレも母もその手作りのマスクをして出かける。母の持ってる小さなバッグの中にはエコバッグなどが入ってるのだが、そこになぜか母は市販の不織布マスクを5枚ほどビニール袋に入れて持っている。もうかなり前のことだが、常備薬を買いにスギ薬局に行った時に、店内で小学校低学年くらいの男の子が「マスクありませんか」と店員に訊いていた。もちろんそんなものは開店と同時に売り切れてしまう。昼過ぎに買いに来てももちろん売り切れてるのだが、その光景を見た母はそれ以来いつもバッグの中にマスクを入れてるのである。今度そういう場面に遭遇したらあげるために用意しているのだ。
昭和11年生まれの母はもう84歳である。終戦を鹿児島県の坊津町で迎えた母は、沖合で大きな軍艦が沈んで、たくさんの人が救助されたことを覚えているという。もしかしたらそれは坊ノ岬沖合で沈んだ戦艦大和の時だったのかも知れない。
10年くらい前に母は大腸がんの手術をして、大腸の1/3を切除した。それ以来、少しお腹が緩くなって刺身などの生モノがあまり食べられなくなってしまった。食べたら必ず下痢になるということで、家族でスシローやくら寿司に出かけても、マグロやハマチは食べずに茶わん蒸しなんかを食べている。もうずいぶん経つから再発の心配はないだろう。
母は世話好きで、ご近所の方の内職を手伝ったり、高齢の方のお世話をしに行ったり、小さな家庭菜園を営むお友達の畑仕事を手伝ったりして、そのたびにお礼に野菜や果物をもらってくる。オレは母がいつまでも元気でいてくれることを願っているのだが、もちろん今の日々がいつまでも続くわけでもない。
3月まで放送していたNHKの朝ドラ「スカーレット」のヒロインだった戸田恵梨香は、実は若いころの母とよく似ている。ドラマの中のあの勝気な性格もそっくりだ。小学生の頃、授業参観の時にいつもオレは心の中で、自分のお母さんが一番美人だと思っていた。今も髪をきちんと黒く染めてるので、84歳には見えない。髪の薄いオレと一緒に歩いてると、知らない人にはもしかしたら親子ではなくて老夫婦に見えてたのかもしれない。
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