2020年04月15日(水) |
新型コロナウイルスと世界の終焉 |
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オレは今、手元にある小松左京の小説「復活の日」を読み返している。その小説の中で描かれている感染者が世界で急増し、さまざまな公共サービスが崩壊し、人々が混乱している状況は今の世界と全く同じである。
今、多くの人が「いつかこの混乱は終息する」と考えている。しかしその「終息する」という見通しは正しいのだろうか。このまま世界が終わりを迎えるということは想像しないのだろうか。
全人類が新型コロナウイルスに感染し、一度感染した人も十分な抗体を獲得できずに再度感染するということの繰り返しで世界中の死者は増加していけばどうなるのか。医療体制の不備な国は政府が機能しなくなり「北斗の拳」で描かれたような無政府状態になってしまうかも知れない。感染が政府中枢の人たちに広がって大統領や閣僚が全員死亡するということになればどうなるか。日本でも国会に出入りする人たちに感染が広がっている。
感染がどんどん拡大する中で必死で行動している人たちの活動を支えるモチベーションは「がんばってこの難局を乗り切ろう」という気持ちである。しかし、難局を乗り切れないとしたら、その努力は空しい行動でしかない。
太平洋戦争の時に「欲しがりません勝つまでは」と国民は窮乏生活に耐えた。この苦労の果てに「勝ち」があるからとみんな耐えたのである。もしもこの戦いが勝てない戦いならどうなのだろうか。人類は新型コロナウイルスとの戦いに勝てないのではないか。このまま世界は終わるのではないか。オレは時々そんなことを考えてしまうのである。
第二次世界大戦という大きな破壊を人類は経験した。原爆の投下やナチスによるユダヤ人虐殺などの戦争犯罪も行われ、あの時に戦争の愚かさを十分に人類は学んだはずだ。それでも核兵器は大量に配備され、戦争から何も学ぶことがないまま人類は種としての自殺の準備に邁進した。軍備増強という愚かな行為に、世界の指導者たちは何も疑問を感じていなかった。
人類は愚かである。どうしようもなく愚かだ。殺人や暴行、強姦といった行為はまるでDNAに標準装備されてるかのように、治安の悪い地域では日常茶飯事となる。つまり、「法律」というタガが外れれば、人間はとことん悪になりうるということであり、理性よりも本能が優先するという生き物であるということだ。叡智なんかなんの役にも立っていないのである。
未来への期待がすべて失われたときに一人一人の人間はどんな行動をとるのだろうか。そもそも貨幣への信頼は政府や国家が機能しているからこそ存在するわけで、そうしたシステムが破綻することが予想されたらなんの意味も持たないのだ。そんな時には人は何を求めるのか。
貨幣が信頼を失った未来というものを我々は想像できないわけだが、「北斗の拳」の世界では貨幣よりも暴力が世の中を支配している。我々はあの作品の中に今後起きるであろう可能性を予見することができるのだ。
では、ケンシロウのような英雄は現れるのか。あらゆるものが破壊された後に日本を再建できるような指導者が出現するのか。それとも世界は悪に支配されるのか。習近平やプーチンや金正恩のような独裁者はもしかしたら「コロナによる世界終焉後」の世界をすでに想定してるかもしれないのである。中国軍の軍事行動が活発になってるのはなぜか。
もしも新型コロナウイルスが、武漢のウイルス研究所から意図的に流出させられたバイオテロによる感染症なのだとしたら、世界の混乱の中で中国が軍事行動を起こして世界征服に乗り出すという可能性は絵空事ではなくなる。もちろん基礎疾患持ちのオレはそれまでに新型コロナウイルスに感染して死んでいるから、世界の終末を目撃することはできない。核兵器による破壊ではなく、ウイルス兵器による世界支配こそが習近平の仕掛けた世界戦争ならば、世界は完全に敗北したのである。
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