2019年08月21日(水) |
あおり運転とアスペルガー |
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テレビのワイドショーはいつも常磐道のあおり運転男、宮崎文夫につい報道しているが、この男の行動というのを冷静に分析してみると、それがアスペルガー症候群の典型的な類型であることを感じてしまう。この病気の特徴というのは常に世の中を自分中心の価値観で見ていて、他の人がどう考えるかなどを忖度できないのである。
だから世間が「反省」を求めたとしても全く意味がない。そして人口の中には一定の比率でこのアスペルガー症候群の人が存在する。一つのことに執着して異常なまでに成果をあげることができるのもまたこの病気の特徴である。だから学者や芸術家という方向で成功する人もいる。しかし通常のサラリーマン社会においては「協調性がない」「臨機応変に行動できない」という欠点を抱えている以上、空気の読めない困った人として周囲と衝突を繰り返すのである。そしてすぐに仕事をやめてしまうということになる。
結婚して夫婦生活をしていても、そこで自分の思い通りにならなかったら相手に暴力をふるったりする。世間ではこれを「DV体質」と呼ぶのだろう。でも殴る本人は自分の行動は正しいと思っているわけで、そこで「反省」を求めても無意味である。本来人間というのは社会的動物であったはずだ。そう考えると乱暴な言い方だが、アスペルガー症候群というのはそうした人間の持つ社会性という重要な要素が欠落した病気なのである。
アスペルガーの人がどうすれば周囲に迷惑を掛けず、そうして長所を伸ばしてけるのか。オレが思うに本人が自分の持つ疾患のことを理解することが必要であると思うのだ。小さいころから自身の病気を自覚し、そのうえで「まず行動する前に立ち止まって考える」ことを習慣づけることしかないのではと思うのである。その場面その場面でどんな行動をとることがもっとも適切なのか?ということを自覚できないとしても、知識としてそれを身に着けることは可能だとオレは思うのだ。
もっともオレも精神医学の専門家でもなんでもない。ただこれまでの人生で接してきた多くの人々や自分の家族を通して、このような病に関して発言しているだけの無責任なオッサンである。
小さいころからあまり周囲の子供がしているような遊びになじまずに一人で遊んでいたこと。小川が流れていてどろんこ遊びできるようなところを見つけるといつまでもそこで遊んでいたこと。記憶力に異常に自信があって、暗記主体の試験ではほぼ満点だったこと。徳川幕府の代々の将軍名とか、細かい歴史の知識とかどうでもいいことをたいして苦労もせずに完璧に覚えられたことなどを思うと、自分もかつてアスペルガー児童であったことは間違いないのである。
そうした人たちを排除するのではなくて。その生きづらさを理解し、どうやって克服していけるかという手立てを社会や周囲が考えることがとても大切なような気がするのだ。少なくともオレは教育現場にいる一人として、そうした生きづらさに苦しんでいる人の気持ちに寄り添うことができればと思っている。彼らを全否定してしまう周囲の心ない大人から守ってあげることができればと思うのだ。
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