2019年08月09日(金) |
表現の自由とは何か? |
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他者の尊厳を踏みにじる発言や表現、そして明らかに人を不快にさせるような絵画や写真を掲示しておいて、それを公開することを「表現の自由」と主張する連中は本当に不愉快である。
たとえば誰かが「うんこアート」と称して大量のうんこを集めてそれで変なモニュメントを作成して、新宿のど真ん中に展示したらどうか。とてつもなく迷惑である。そんなものは即座に撤去しろと多くの抗議電話が殺到するだろうし、周辺は臭気やハエで大変な被害を受けるだろう。
うんこが人を不快にすることは誰が見ても明らかで、そのうんこアート作家が「表現の自由」と叫んでも誰もそんな表現は認めない。「そんなうんこ見せるなよ!」というのが普通の人の持つ感想である。つまり「表現の自由」の大前提として、「うんこアート」のような変なものを出してくる馬鹿がいないということを我々は共通認識として持たないといけない。
さて、今回津田大介氏があつめた大量のうんこ、いや大量の「展示差し止めをくらった芸術作品」というものが果たしてアートというにふさわしいのか。まずそこから考えないといけない。たとえば昭和天皇の肖像を冒涜するような絵画というものは何のために制作されたのか。少なくともそれは美しさとか観ている人を感動させるとかいうものではなくて、政治的な主張をこめて、観ている人が著しい不快感を感じることをわざと狙って描かれたものであることは疑いの余地がない。そんなものを「表現の自由」という概念で認めることはオレにはとうてい出来ない。
また韓国が世界中に設置して回ってる慰安婦問題に関連した「少女像」も、芸術でもなんでもなくそれはただの政治的プロパガンダの道具である。韓国人がその「少女像」を設置してまわる動機の最たるものは日本人に対する嫉妬である。彼らはその感情のことを「恨(ハン)」と呼ぶそうだが、そんなものは愚劣な嫉妬心でしかないとオレは思っている。世界で成功している日本人の評判に比べて韓国人の評価はそれほど高くない。むしろ多くの女性が海外で性産業に従事していることで韓国に対するイメージは日本人に比べてよくない。そこで韓国政府の考えることは、韓国をもっとすばらしい国にするために国民を啓蒙することではなく、日本の悪口を世界に宣伝して日本を下げることで相対的に自国の評価を高めようとすることなのである。
これはたとえば学校の中のいじめ問題などでも起きる行動なのだが、いじめのきっかけとして自分よりもいろんな能力のすぐれた相手を素直にリスペクトするのではなくて逆に嫉妬し、そいつの評判を下げることで自己満足したいという馬鹿がいる。往々にしてそういうくだらないことからいじめはスタートするのである。
韓国政府が世界中に少女像を設置してそこにでたらめの内容の碑文を書くことでやろうとしていることは「日本はこんなにひどい国だから世界中でよってたかっていじめましょうよ」ということなのである。こんな低レベルのことを国際社会でやろうとしてる愚劣な国は世界でおそらく韓国と中国くらいである。それが隣国だったということが日本にとって最大の不幸であった。
いじめを扇動するヤツはクズだし、国家単位でそれをやろうとしてる国があれば、世界はその国を国際社会から追放してしまうべきである。日本はそれを政府見解として堂々と世界に公言すべきだし、その韓国のやってることに同調して行動する日本人は速やかに日本から出て行ってもらいたい。それは津田大介、おまえのことである。
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