2019年02月06日(水) |
虐待親は何をしたかったのか? |
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千葉県野田市の小学4年生、栗原心愛さんが自宅で死亡し、両親が傷害容疑で逮捕された事件で、母親のなぎさ容疑者は夫から「外に出すな」と言われ、娘を一カ月ぐらい外出させていなかったなどと供述していることが6日、捜査関係者への取材で分かったという。娘が外に出ると虐待されたことを誰かにしゃべるかも知れない。暴行の事実が発覚しないようにするために外出させなかったということらしい。
父親の栗原勇一郎は、最後に娘をどうしたかったのだろうか。虐待が発覚しないように殺したかったのだろうか。ろくに食事も与えずに虐待を続けていた行為は傷害致死ではなくて殺人罪が相当すると思うし、その虐待が長期にわたっていたことを思えば単なる殺人ではあまりにも量刑が軽い。死刑以外の選択肢をオレは考えられないのである。
前にもオレは書いたが、心愛ちゃんの死因は「絶望死」であるとオレは思っている。生きている限り永遠に続く虐待の中で絶望した彼女は、早くこの世から去ることでその苦しみが終わることを選んだ。すべての生きる気力を父親の栗原勇一郎が奪ったのである。
今の警察の取り調べは昔と違って暴力や拷問はない(とされている)。ただ、やってない犯罪を自白して、法廷では否認する被告もいるので本当に暴力的な取り調べがないとは断言できないのだが、この栗原勇一郎に関しては拷問されるべきだとオレは思っている。
裸にして冷水を浴びせるとか、食べ物をろくに与えないとか、日常的にぶん殴るとか、そういう拷問をこの加害者本人に与えないといけない。自分が行っていた加害行為がどれほどひどいものであったかを身体で教え込まないと罰にはならないとオレは思うのである。
日本の裁判は加害者を守ることばかり考えていて被害者側の痛みには無関心である。犯罪加害者側から賠償金が支払われることもほとんどなく、殺され損であるというのが現状だ。国が犯罪加害者の財産を没収して被害者救済に充てるという制度もない。賠償が得られないのならば、せめて肉体的な痛みだけでも被害者と同様のものを与えるしかないのではないかとオレは思うのである。特に今回の場合、心愛ちゃんを殺したのが実の両親であり、その賠償を誰も求めることができないのである。
どうして父親はわが娘が死ぬまで虐待したのだろうか。自分の加害行為の事実をアンケートに書いたということが「殺意」につながったのだろうか。わざわざ娘にうその手紙を書かせてまで自分の行為を隠蔽し、結果として虐待を続けたことの動機はいったいなんだったのだろうか。
外では普通の人なのに、家に帰ると自分よりも弱い家族を暴力的に支配している人間というのは実際に存在する。そんな家庭に生まれてくることは悲劇以外の何ものでもない。どうしてそんな人間になるのだろうか。何がその性格を歪めてしまったのだろうか。結婚する前に相手がどんな人間なのかを完全に知ることはできない。ただ、結婚相手や交際相手、家族がクズであるとわかったときに、逃げ込めるようなシェルターが欲しい。そこに逃げさえすれば安全が確保される。そういう場所が必要だ。いじめから逃げ出すために。いやなことを強制されないために。ブラック企業から逃げるために。それは社会が作らないといけないとオレは思うのである。クズ人間を撲滅することは不可能なのだから。
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