通販で買って愛用している無線の5ボタンのマウスが突然死した。少し前に「左クリックだけ効かない」という異常があって、そのときはふだんあまり使わない右クリックを左と入れ替えるという技で切り抜けたのだが、少し経つとなぜか治っていた。今度はどうやら完全死みたいなので、家に用意していたリリーフ用のマウスを出してきて使っている。それにしてもどうしてマウスは死ぬときは突然なんだろうか。
オレがふだん使ってるマウスの寿命は長くて4年くらい、短いと1年以内で壊れる。まあ1000円程度の商品にそんなに耐久性を求めるのは無理だと思っているのだが、それにしてもどうしてその程度の寿命なのだろうか。昔使っていた中にボールが入ったような仕組みのマウスならもっと長寿命だったような気がするのである。もっともそんなマウス今は売っていないだろうけど。
マウスというのはものすごく使用感が違う。お気に入りのものは本当に肉体の一部のような感じである。だからこそ気に入ったものはずっと使い続けたいし、壊れて欲しくないのである。壊れた時に困るのは、同じモノを入手できない場合である。どこにもそれがないとわかったとき、あきらめて違うものを買ってみるのだが微妙に違う。これはオレの求めてるものじゃない・・・ということになって、また別のものを買う。そういうわけでオレの手元には「少し使ってみて合わないので放棄」という運命になったマウスがある。故障時にはやむなくそういう二軍のマウスを登板させるのだが、少し使いにくいだけでストレスがたまるのである。
自分のはき慣れた靴、身体になじんだ服、いつも運転しているクルマ、そうしたものの価値は第三者にはわかってもらえない。お気に入りのサンダルがあって、全く同じものの新品を店で発見したので「代替用」として購入して靴箱にしまっていたら、妻に発見されて古い方を捨てられたということがあった。妻は「新しいの買ってるのに何で古い方を履くの? 傷んでるのなんかもういらないと思って捨てた。」と答えたが、オレは「履けるうちは履きたい」という気持ちだったのである。そうした感覚はものを大切にしない人間にはわからないのだろうか。
前のクルマは18年乗った。その前は15年乗っていた。両方とも20万キロ以上走行した。最後は「経年劣化による故障でもう修理が困難か高額」という状況だったのであるが、もっと程度のいいときに乗り換えるという選択肢は自分にはなかった。
たかがマウスである。一年くらいで壊れてもいいような値段である。ものすごく気に入ったマウスは、何個も買って置いておくべきだろうか。それとも手に入るうちに20個くらい購入して、死ぬまでのマウスを確保しておくべきなんだろうか。
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