江草 乗の言いたい放題
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2018年07月08日(日) 父の面影        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan



 父が亡くなってもう4年以上になる。最近、生前の父を知っている年配の方からいつも言われることがある。それは「お父さんそっくりやねえ」ということばである。

 父は髪が薄かった。オレも30代後半にはどんどんハゲが進行していった。父と同じ速さで自分の髪も失われた。遺伝というものは実に恐ろしいとオレはつくづく思ったのである。残された髪の毛の部位が同じなので、今のオレは亡くなった父とほとんど同じ髪型になってしまった。

 リビングの小さな仏壇の横に飾ってある父の遺影は、亡くなる数年前のもので、姪が成人式の時のものなので80歳くらいのころの写真ということになる。

 生前の父を覚えてる方は、父の笑った時の表情やしゃべり方、そうしたさまざまな記憶の中にある父を覚えてるわけで、その方々から「お父さんそっくり」と言われるということは、自分の中にはきっと自分でも気づいていないさまざまな「父の成分」が存在するのだろう。

 小学生の時、父は成績優秀でいつも級長だったらしい。和泉市の山奥、南松尾小学校という超田舎のことだからきっとそんなに賢い生徒はいなかったと思うのだが、大学に進んだのは兄弟の中で一番年長の伯父だけで、父は小学校を出るとすぐに丁稚奉公に出された。そして働きながら中学に通っていた。工場動員などを経験するのはそのころである。昭和3年生まれの父は召集されることはなかったが、「自分は戦争に行って死ぬ」と思っていたのは当時の若者にとっては普通のことだっただろう。

 自分が父から受け継いだものは、記憶力と本が好きなことだった。貧しい暮らしの中で母が買ってくれた絵本をいつも自分は読んでいて、母に背負われてる時も自分は本を離さなかったので、首のところに本が当たって痛かったと母から聞かされた。

 生まれたときにひ弱でいかにも虚弱体質だったオレを見た父はあろうことか「これはオレの子じゃない」と言ったという。ところが本好きに育ったオレを見て「これはオレの子だ」と語ったらしい。それは後に母から聞かされたことである。幼稚園の入学申し込みの時に先生方はあまりにも小さいのでオレだけは入園を断ろうと思っていたそうである。小学校に入学したときオレの身長はわずか103センチしかなかった。今ももちろん小さいのだが、小さいことはオレの個性の一つだとオレは思っている。

 人の能力はすべて遺伝で左右されるわけではないが、かといって遺伝的なものが全く影響しないわけでもない。小学生、中学生のころ、オレが塾にも行かず宿題もまともにしなかったのにずっと優等生であり続けたのはきっと父から受け継いだものが大きかったのだろう。貧乏な暮らしの中で、なぜか家には本があった。集英社の日本文学全集も全巻あったし、オレが中学生の時に父は徳間書店の「中国の歴史」「中国の思想」というシリーズの本を買ってくれた。漢文・書き下し分・現代語訳が併記されている本だった。ハードカバーの箱入りの立派な本は決して安くはない。露天商の父にとって、そうした本を買うことも、またそういう本を読むような教養があったこともそれぞれ分不相応なことだったような気がするのである。

 父はオレに医学部に進んでほしかったようである。そしてオレも高校入学時には医学部に行くつもりだった。信州が好きだったので、行くなら信州大学と決めていた。なぜか理科が物理・化学必修だったので、高校1年の時に生物は全く勉強しなかった。信州大医学部が生物必修に突如変更したのは、オレが高校2年になった春である。

 物理・化学はどちらも得意で、どちらの科目も模擬試験で校内順位で1位をとったことがある。そして父の前でオレは「医学部を受ける」と公言していた。最後に裏切ったのはオレの方である。高校3年生の秋になって、オレは医学部受験というハードルに挑戦することから逃げて、文学部という人生をすでに諦めたような選択をした。18歳にしてオレは人生の落伍者となったのである。医師になって世のため人のために生きるという立派な道に進まずに、文学部で遊び暮らす4年間をオレは手に入れた。父は周囲の人によくオレのことを「あいつは医学部に行かせたかった」と悔やんでいたらしい。逃げたのはオレである。

 大学を出て田舎教師となったオレは父によく学校の話をした。父はその話をいつも楽しそうに聞いていた。そしてよくこういうことを言った。「商売は品物を売ってしまったらそれでおしまいや。でも教師の仕事は、ずっと生徒から感謝され続けるんや。ええ仕事や。」そう語る父はとても満足そうであった。家が貧しくて思い通りの進学ができなかった父が、大学を出たことで今の仕事に就いているオレをみているとき、きっと自分の実現できなかった「学問をしてそれを仕事にする」という夢をオレの中に見ていたのだろう。

「お父さんそっくりやね」

と、生前の父を知る人はいつまでもオレに向かって言うだろう。

 残念なのか、幸運なのか、オレの二人の息子は全くオレには似ていないのである。二人とも母親に似てるのである。容姿も性格も何もかも。   



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