2017年12月16日(土) |
元ヤンキーを自慢するのは馬鹿 |
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オレはDQNが嫌いだが、DQNというのは最近使われるようになったことばであり昔はその代わりにヤンキーと呼んでいた。もちろん厳密には「ヤンキー=DQN」ではないのかも知れないが、オレの価値観では両者は限りなく近い。
世間では「昔はかなりのヤンキーだった」という過去の悪行を武勇伝のように自慢する勘違い野郎が居る。その中には義家広介のように国会議員になる者や予備校の講師となる者もいるのである。熊田裕通衆院議員などは悪ガキ時代に女教師をトイレの個室に閉じ込めて上から爆竹を投げ込んだりしている。全くもってDQN以外の何者でもないのである。しかし、彼らがそうして自慢話をするということは、それがものすごく立派なことであると思っているからである。さて、ヤンキーから立ち直ることがそんなに立派なことだろうか。
そもそも立ち直るというのは、普通のまっとうな人間になることである。まっとうな人間がまっとうな人間のまま大人になってまっとうな人生を送るのは当たり前のことであり、そのまっとうな生き方のできないヤンキーというかDQNの方がダメなヤツであるということははっきりしているのである。それが立ち直ったことは自慢できるようなことではなくて、むしろ立ち直れずにずっとDQNでいることの方が迷惑この上ないことであり、そんなヤツは社会の迷惑である。
まあそういうわけでオレはDQNが嫌いだし、DQNとは仲良くなんかしたくないし、人生の中でDQNとの関わりは最小限度に済ませようと思っている。クルマを運転していて迷惑なDQN車がいるとできるだけ離れるようにしている。変に因縁をつけられたくないからである。DQNの中には交差点で止まったときにふと横から覗いただけで急に怒り狂って追いかけてくる馬鹿もいる。頼むから勝手にガードレールや壁に激突して自損事故でくたばってくれよと思うのである。どうして見ただけで怒るのだろうか。きっと人に見られたくない犯罪行為をいつもしてるのだろう。覚醒剤の注射とか、大麻の吸引とか、盗撮とか危険運転とか道路交通法違反とか。
自慢話をしている連中に共通するのは、そうした過去のDQN行為のことを「悪いこと」であると基本的に思っていないことである。DQNは万引きを「誰もがやってる普通のこと」と思っているがそうではない。つまり、DQNというのはしょせんDQNであり、ものごとを自分達のDQN的な価値観でしか判断できないわけで、だから過去の悪行も彼らにとっては「普通の思い出」なのである。決して彼らはそれを黒歴史などとは思ってないのである。
もちろん元DQNでもものすごい努力で知識や教養を身につけた方もいるかも知れないし、そうした人をオレは評価したい。ただ、これまでにオレはそういう人とは一度も会ったことはない。昔DQNだったどうしようもないヤツは今はさらにパワーアップしたDQNになっている。全身に入れ墨を入れたほんまもんのヤクザになっていたりするのである。とにかくお友達にはあまりなりたくないのである。
道路で他のクルマを煽ったりする迷惑なDQNが最近話題になることが多い。彼らはいったい何がしたいのだろうか。もしも日本がアメリカのような銃社会なら、そういうDQNは問答無用でその場で射殺されていることだろう。もっともDQNも銃を持つようになるわけでそいつらが社会に与える危険は無限大なんだが。
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