2017年12月08日(金) |
巨大防潮堤は必要なのか? |
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東日本大震災の被害を受けた地域で、復興事業の一環として巨大な防潮堤があちこちで建設されている。「万里の長城」とも呼ばれるその建設に掛かる費用は1兆円を超えるのだが、それだけのものを作っていったい何が後に残るのか。こんな巨大プロジェクトを始めてしまった側の苦悩についてオレは考えたいのである。
あの無駄事業の代表のような「八ッ場ダム」もそうだったが、国が一度このような計画をスタートさせると、そのゼニに多くの連中が利権を求めて群がってきてしかも止めることができない。「こんなものはいらないからやめよう」というわけにはいかないのである。そうして多くの禍根を残したままいらないものが作られ、一度破壊された自然はもうもとに戻らない。諫早湾の干拓事業などはその最たるものである。数百年後に日本が仮にまだ存在したとしたら、その頃の教科書には「利権目当てにこんな無意味な事業が実施され、最終的には国家財政が破綻しました」という記述があるのだろう。
オレは阪神大震災についても日記で書いてるが、復興しないといけないのは「もとの生活」である。震災の前に確かにそこに存在した生活をできるだけもとどおりに復興することが震災復興なのだ。ところが現実はそうではない。その機会に地上げする連中や、再開発で一旗揚げようとたくらんでる連中、そして土地の値上がり益で稼ぐ奴らがうじゃうじゃしていて、そこに地方議員や国会議員の利権が絡んでもうどうしようもない混乱が起きるのである。
東日本大震災が起きた3月11日からもう6年以上が過ぎてるのに、今でも家がないとか仕事がないという大勢の人たちが居て、福島第一原発の事故の影響で家に帰れない人たちがたくさんいるのだ。巨額の復興予算があったのに、その予算を使う方向は間違っていたのである。そのゼニは人々の生活を再建するためではなくて、震災で一儲けしようとする連中のイナカモンドリームを実現するために費消されたのである。ひどい話である。
気仙沼市では高さ14.7メートルの壁が40キロにわたって建設されるという。トランプ大統領の語った国境の壁は実現性が乏しいが、こちらの壁はもう建設がどんどん進んでるのである。人々の生活を再建することなく、壁だけを作ったところで何の意味があるだろうか。巨大な壁と、その壁のせいで海と隔てられてしまったゴーストタウンを我々は望んでいたのだろうか。生活の中にあった海の眺めはどこに行ってしまったのか。
できあがった一部の防潮堤を観て、気仙沼の市民は「こんなもの欲しくない」と思っても他の公共事業と同じくもう止められないのである。ゼネコンはその事業で未来に渡って莫大なゼニを手に入れる約束ができているわけで、今更それをやめてもらってはこまるし、その工事によって得られる利益の一部はすでに議員へ政治献金という形で先渡しされてしまっているのである。だから工事を中止できないのである。これが日本に於ける政治の現実なのである。
防潮堤の機能本位のデザインの醜悪さもどうにかならないのか。それが絶対に作らないと行けないものならば、だったらそこに住宅機能を合わせて建設すればよかったのではないか。防潮堤の位置に巨大団地を建設してそれを防潮堤にしたらよかったのだとオレは考えるのである。そんな巨大なコンクリートの構造物を作るならば、どうせなら中に人が住めるようにしてしまえと。だったら住宅建設と防潮堤が一石二鳥で進むのである。頭の固い官僚や想像力の乏しい政治家どもにはそういう発想もなかったのである。アホが政治をするというのはそういうことである。
大地震や津波はいつかやってくる。大陸規模の地殻変動もいずれ起きるだろう。もっともその時まで人類が生存できているとは思えないのだが。オレはそれを見届けずに寿命が尽きるだろう。もしかしたらそれは幸福なことかも知れない。
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