2017年10月03日(火) |
今そこにある危機(銃乱射) |
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アメリカで銃規制に反対している人は、自分がラスベガスで無差別銃撃に巻き込まれて死ぬなんてことを考えたことがなかったのだろうか。アメリカでこうした大規模な銃乱射事件が起きるたびにオレが思うことは、少なくとも日本ではこうした形で理不尽な死を迎える可能性がアメリカよりもはるかに低いということである。
確かに日本でも秋葉原の歩行者天国にクルマで突入して刃物を振り回す狂人がいたし、小学校を襲撃して児童を無差別に殺したヤツもいた。そういうことを平気でできる「サイコパス」という存在をなんとかする方法は残念ながらこの世に存在しない。「死刑」という形で犯罪者にご退場していただく以外の選択肢を日本社会は持たない。ただ、市民が基本的に銃器を持たないということで日本の治安が保たれていることだけは間違いないのである。
今回ラスベガスで起きたような悲惨な銃乱射事件が起きてもアメリカが銃規制に向かうことはまずない。アメリカでは多くの殺人事件が起き、年間に銃器によって殺される人と自殺者を合わせると3万人くらいになる。銃で撃たれて死ぬなんてことはアメリカでは交通事故よりもありふれたことであって、市民はそれを普通の日常としてとらえている。しかし日本では殺人事件の犠牲者が年間で500人以下である。いかに日本が治安の良い国であるかがわかるだろう。未遂事件を含めても年間に1000件程度しか日本では「殺人」は起きていないのだ。
日本が世界に誇れる最たるものはこの「治安の良さ」であり、人々が不安なく平穏に暮らせているという日常なのだ。日本の警察が全力で守らないといけないのはこうした日常ではないのか。オレはいつもそう思うのである。それなのに警察はくだらない交通取り締まりや署内での性行為にうつつを抜かしているのである。本当に警察はダメな組織である。どうして未然に犯罪を防ごうとしないのか。連続放火犯が出ればその地域に一斉に捜査員を配置して検挙するということがなぜできないのか。
日本をアメリカのようにして欲しくはない。日本は今の日本の延長線上にあって欲しいとオレは思うのだ。多くの価値観が混在して人種のるつぼであるアメリカが、価値観の相容れない人たちと共生できないから犯罪が多発するのならば、日本は少なくともみんなが価値観を共有できる社会であって欲しいのである。貧困が犯罪を誘発するのならば、せめて日本はコンビニのアルバイトやビルの清掃員でもちゃんと子どもを育てて大学に行かせられるような社会であって欲しいのである。犯罪以外に富にアクセスする方法がないなんて国家にしてはならない。努力すれば誰もが希望する職に就けるチャンスがある、そんな国でなければならないのだ。
その銃弾で突然に命を奪われる人々にもそれぞれの大切な人生がある。この世に失われてもいい命などない。誰かの命を奪うと言うことは、その先に存在した輝かしい未来をすべて奪いさることなのだ、しかも殺されることにはなんの理由もない。全く理不尽な形で突然に命を奪われるという危険が日常の中に存在する国が果たして世界の大国であってもいいのか。世界に誇ることができるすばらしい国は日本の方ではないのか。
日本が世界に誇れる犯罪の発生率の低さや検挙率の高さ、これをさらにオレは追求すべきだと思っている。今すぐに全国民のDNA情報や指紋を登録しよう。犯罪を起こすこと自体が不可能な国家にしよう。アメリカの無差別殺人事件から我々が学べることはただ一つ、こんな社会にしてはならないということである。全力で日本の治安の良さや犯罪の少なさは守らないといけない。再犯性の高い性犯罪は必ず死刑、暴力団はすべて解散、覚醒剤の売人も死刑という形で、将来の犯罪の可能性を根絶して「銃器の存在しない社会」をアピールすべきだとオレは思うのだ。
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