2017年07月07日(金) |
築30年のマンションを売る人たち |
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職場の新聞の折り込みチラシを見ると、中古マンションの広告が多い。安いモノで150万くらいだが、中には1億近いものもある。最近建てられたタワーマンションもあれば、築30年を超える昭和の物件も出ている。オレはその昭和の物件が気になったのである。
そもそもこんな古いマンションは、耐震基準が阪神大震災以前のままなわけで、しかも住民も高齢化が進んでるからもしかしたらスラム化してるんじゃないだろうか?という疑問をまず感じたのである。そういうマンションに居住する人は、そのまま住み続けたいと思うだろうか。多少安くても買いたい人がいる内に売り逃げしたいと思うだろう。そして手に入れた人も、少しでも値段がつくうちに売り抜けたいと思うだろう。そうやってババ抜きゲームをしているだけのような気がするのである。
いずれ家は余る。いや、いずれではなくてすでに余っている。つい先日オレは母を墓参りに連れて行くために和泉市の山奥に出かけたのだが、その集落に存在する多くの家がもはや老人だけが住んでるか、あるいは無人になってしまっているのである。それなのにやたら家はでかいのである。ふだん人がいないのでアライグマが侵入したりして大変なのである。実はオレの父の実家も駆除が大変だったのだ。
そうして無人になった村はどうなるのだろうか。たとえばそこに不法占拠する人たちがやってきたときに、行政は対応できるのだろうか。今の法律ではたとえ悪意の占有であっても20年住めば自分のものになる。放置されている戸建て住宅を勝手に占拠して使うというのがどんどん増えだしたとき、どうやって阻止すればいいのだろうか。住民が高齢化してさらに無人化すればもはやご近所のネットワークなど存在しないのである。
大阪環状線の寺田町駅の駅近にオレの伯母の家がある。二階建てで広さは3Kほどだ。リフォームはしているが、戦前に建てられた家で伯母はもう亡くなっていて、そこは無人のままである。前面道路は2mの幅がなくて軽自動車しか通れない。もちろん建て替えなど不可能である。オレの長男が浪人していた頃に一時期使わせていたが、ネズミとの壮絶な戦いに敗れ去って長男は古い賃貸マンションに移った。風呂もない物件で、よくあんなところで暮らせていたなあと改めて思うのである。近所に銭湯はあるにはあるが、それでもネズミやゴキブリ、ムカデなどが住み着いてるわけで誰がそこに住みたいと思うだろうか。しかもその周辺には謎の外国人がシェアハウスして日々騒音を出していたり、ゴミ屋敷になっていて大量の猫が住んでいたり、居住者が時折奇声を発する謎の館があったりするのである。もはやまっとうな居住環境ではないのだ。
家賃はなぜ下がらないか。それは高値に吊り上げようとしている人たちがいるからだ。しかし、今銀行にだまされて賃貸住宅経営に乗り出そうとするあわれな人たちが大勢いて、供給過剰になってしまった物件が多数存在するようになった時、地価が暴落して大変なことが起きることは間違いない。現在のアベノミクス景気がそもそも幻想である。そこで起きる悲劇を想像すると、オレは暗澹たる気持ちになるのである。
老人だけ世帯には未来はない。居住者が死ねばあとは放置されるだけである。そして後には無人の家が残される。あの高級住宅街の田園調布でさえも、今は多くの空き家が存在するという。
マンションの権利は築50年ですべて消滅して、後はすべて行政に帰属するので行政側はその取り壊しに掛かる費用の負担だけでその土地を取得できるような仕組みを作れば、そこに公営住宅を建てるのも緑地にするのも自由だ。少なくとも集合住宅に関しては新たな立法措置を行わないとどうにもならなくなるだろう。ところが今の政治家にそうした未来の問題に対処しようという人は残念ながらいないのである。当たり前である。50年後に権利が消滅するようなものなら誰も高いゼニを出して購入しないわけで、今のマンションバブルが吹っ飛んでしまうような立法措置はとれないのだ。かくして破滅は先送りされるのである。
オレは自分が生きてるうちにこの日本社会の終焉を目撃できるのだろうか。その前に核戦争が起きて人類は滅びてしまうのだろうか。この世はいったいどうなるのだろうか。いやもっと別の形で人類は終わりを迎えるのか。九州で巨大噴火が起きて火山灰で埋まって日本列島が消滅してしまうのか。
いつまでも今のような人類の繁栄は続かない。いや、今の状態をそもそも繁栄と言えるのか。現代というのは破滅の前のただのあだ花ではないのか。
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