2017年06月18日(日) |
女子大には断じて男は入れるべきではない |
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カラダの性別は男だが心が女というトランスジェンダーの学生について、国立2大学私立6大学の合計8つの日本を代表する女子大学が、受け入れの検討をはじめたという記事を読んだ。米国では自己申告でトランスジェンダーの学生を受け入れてるという。「多様な女子」に対してどのように門戸を開くのかということが話題になってるわけだが、オレはそうした動きには反対である。共学の大学に行けばいいと思うからだ。
医師の診断書で判断するというが、医師の中にゼニで診断書を書くヤツがいたらどうするのか。女子大に入学したいという女装変態男がまんまと入学審査をすり抜け、そして女子に囲まれながら夢のようなキャンパスライフを送るというのがオレはうらやましい・・・・いや、断じて許せないのである。そんなことはあってはならない。
そしてもしもその変態が学内で性犯罪を起こしたらどうするのか。女子トイレの中で待ち伏せして、そこにやってきた女子学生をレイプするなんて事件が起きたらどうするのかということである。
もっともこのような事件そのモノは共学の大学でも起きうることであり、そこには何の固有性もないのでこのように想像することは間違ってるかも知れないが、でもオレは「女子大」という一つの文化がなし崩しに崩壊することを恐れるのである。学園祭の時くらいしか男子は絶対に入れない「女子大」という聖域を守ってもらいたいのである。そこはオレにとってあこがれの禁断の地なのである。もしも女子大の教員になれるのならば無給でもOKなのである。オレのような変態老人を雇ってくれる女子大はそもそもありえないわけだが。
ただ、さまざまな性を社会が受け入れるという方向は喜ばしいことである。カラダの性と心の性が違っていて、その上で好きになる性も違っていることがあるわけだから、カップルの組み合わせは多様化していくだろう。カラダは男だが心は女で、でも好きになる相手は女、つまり世間的には男女のカップルだが、その男性は心は女で心情的にはレズビアンという可能性もあるだろう。逆に、カラダは女だが心は男で、その上で男が好きだというのもあるだろう。単純な男女の組み合わせ以外のさまざまなパターンに対して、社会は寛容にならないといけない。しかし、だからといって女子大に「男の娘」が入っていいというものではないのである。そこは一線を引くべきだ。
この多様化の時代にオレのような発言をすると「時代遅れ」と言われそうなんだが、これからの社会はそうしたさまざまなパターンに対して対応する必要があるのだろうか。たとえばトイレはどうなるのか。カラダは男で心は女という女性の場合は、男子トイレでも個室を使えば済むことだと思うのだが、そのあたりの本人の心情はどうなのだろうか。オレには全く想像がつかないのである。
ただ、新聞記事を読んでいて驚いたんだが、日本にはまだ「女子大」が76もあるらしい。都道府県の数よりも多いのである。これは驚くべき数字である。そうした大切な文化が、どんどん共学化されて消えていくのがオレは残念なのである。女子大学という聖域はいつまでも守られて欲しい。男にとって想像するしかない秘密の世界に、診断書一枚で簡単に入れてしまうようなうらやましすぎることに対して、オレは断じて反対するのである。絶対に認めたくないのである。オレの全く個人的な感情である。
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