2017年04月25日(火) |
若者の野球離れについて |
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いまから20年以上前、オレはよく教室でプロ野球の話をした。生徒の多くはどこかの球団のファンであり、オレが阪神ファンであることを知ると教室の後ろの黒板にはよく前日の野球の結果に関する大きな落書きがあったのである。オレもその落書きを見ながら「昨日は阪神がサヨナラ勝ちしたから今日は宿題はなしにしてやろう」などと答え、毎年4月には「もしも今季阪神タイガースが優勝したら、2学期の中間試験はやさしい問題を出してやるぞ」などと公約したものだ。
いつから生徒に野球の話が通じなくなったのだろう。最近の高校生はそもそもプロ野球を見ないのである。12球団全ての名称を答えることができるのは高校生の5%くらいしかいないのではないだろうか。それほど野球の人気は落ちてしまったのである。
もっともオレも自分が興味のないサッカーに関しては知らない。J1J2のチーム名をすべて上げるなんてとうてい不可能だ。もしかしたら野球は観ない代わりにサッカーなら観てるのかも知れないが。
野球人気が凋落した背景には、地上波での放映減が上げられるだろう。昔はテレビの地上波で必ず野球中継があったのだが、今はほとんどないのである。全国津々浦々どんな田舎にでも必ず巨人戦が放送され、「巨人の星」などというプロパガンダ目的のアニメなどを使って日本中の子どもを巨人ファンに洗脳するという恐ろしいことが実行に移され、オレのような阪神ファンの少年が迫害されたのがオレの子ども時代だった。その「巨人の星」というアニメが終わり、巨人がV9で打ち止めとなってその後王や長島が引退し、次世代のスターだった野茂英雄やイチローがアメリカに渡り、そうして野球の世代の代替わりが進んでいく中で徐々に人気は下がっていったのである。
いまや小学生の男の子の夢は野球選手じゃなくてユーチューバ−となってしまい、単体でスターにはなれなくても芸能界入りのハードルは大きく下がったために美少女アイドルのインフレも甚だしくなってしまった。テレビに出て人前で歌ったり踊ったりするレベルの少女が数百人単位で存在することなど昔は考えられなかったことだ。もちろん多すぎるということは一人一人を認識してもらえないこということでもあるのだが、かくいうオレもAKB48のメンバーのなかで顔と名前を一致できるのは10人くらいしかいない。(10人もいれば、オッサンたちの間では「すげえ!」と賞讃されるレベルなのだが。)
イチローの全盛期をオレは観てきたわけだが、今また大谷翔平の活躍をリアルタイムで観ることができている。今のプロ野球が決してつまらないわけではないのだ。オレが物心ついて野球を観るようになった頃、阪神には村山実や江夏豊というものすごいピッチャーがいた。江夏豊は延長戦までノーヒットノーランを続け最後は自分が決勝ホームランを放って勝った。翌日の新聞には「野球は一人でも勝てる!」という見出しがついたことを覚えている。そうしてずっと野球を愛してきたオレは、今の若者が野球に全く興味を示さないことをなんだか寂しく思うのである。
オレがまだ小学生の頃、子どもたちの遊びは基本的に空き地や原っぱでの野球だった。みんな野球のルールを知っていたのは当たり前のことだし、「巨人の星」が終わっても野球漫画は不滅だった。「ドカベン」や「キャプテン」という野球漫画の名作が存在した。ところがあだち充の「タッチ」になると三角関係のラブストーリーが主で野球がまるで脇役のようになってくるのである。だからオレは「タッチ」が好きになれなかったのである。
地上波での野球中継がほとんどなくなったということも若者の野球離れの大きな原因だろう。野球が「ファンならゼニを払っても観るだろう」というふうにとらえられて有料放送の主要なコンテンツにされてしまったことも大いに影響している。プロレスがゴールデンアワーから深夜枠に追いやられてその人気を失ったように、野球もまた自ら退場しつつあるのである。かといって野球よりも面白い番組があるのかというと否である。芸能人にくだらないクイズを答えさせたり、宣伝目的のグルメ番組であったり、要するにどうでもいい番組が多いのだ。だったら野球をやってくれよとオレは思うのである。
いずれプロ野球ファンは高齢者ばかりになっていくだろう。球場はジジババばかりになり、甲子園のアルプススタンドを除いてバリアフリー化がいっそう進むかも知れない。そうして滅びていくのである。
どうか野球という素敵な文化がいつまでも続いて欲しいとオレは思う。1985年の阪神タイガース日本一の時に歓喜の涙を流した一人の男として、プロ野球界の繁栄を切に願うのである。
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