2017年01月17日(火) |
あれから22年〜 地震列島で暮らすということ |
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日本人として日本で暮らすということは、常に地震の可能性の中で生きるということだ。その地震はたった今あなたを襲うかも知れない。昨年も大きな地震がいくつも日本を襲った。熊本地震では熊本城が大きな被害を受けた、日本列島の中に100%安全な場所などない。太平洋の端っこのこの列島そのものが、プレートの境界で発生する大きなひずみの結果押し上げられた地球のしわのようなものであり、その上で暮らす以上地震の危険は不可避なのである。そんな不安定な土地の上に原発やタワーマンションやリニア新幹線のような、直下型地震があればひとたまりもなく破壊されるようなものをどうして造るのだろうか。オレには信じられないのである。
阪神大震災では新幹線の高架も高速道路も瞬時に崩落したじゃないか。あの震災が起きたのが交通量のもっとも少ない時間、新幹線の始発の発車する前だったということはただの僥倖でしかなかったのだ。もしも新幹線が250キロで走ってる時間帯ならば、高架が崩れて脱線暴走した新幹線の乗客に多数の死者が出たことは間違いない。
阪神大震災の揺れはオレが生涯に経験した地震の中で最大の揺れだった。あの時大阪は震度6だったという。オレは1分間程度続いた揺れの中で、このまま家が崩れて押しつぶされるということをほぼ確信して布団の中にいた。揺れが収まった時、オレは家ごと押しつぶされなかったことを神に感謝した。
日本で暮らしている以上、地震は必ずやってくる。大切なのはその時に発生するリスク要因を一つでも減らすということだ。たとえばリニアを建設することを止めることもその一つだと思うし、原発から撤退することも同様である。制御不能な事故にいたる前に、その可能性を事前に排除するのが、日本という国家を子々孫々伝えていくために我々ができることではないのか。
九州では数千年に一度、カルデラ噴火が起きている。仮に阿蘇山のカルデラができた時のような規模のカルデラ噴火があれば、九州全島が火砕流で埋まるだろうし、その時の死者は100万人を越えるだろう。そんな危険で脆弱な大地の上で我々は暮らしているのである。約7300年前の鬼界カルデラの噴火の際に噴出した鬼界アカホヤ火山灰は九州から東北地方にまで広く分布している。今同じ規模の火山活動が起きれば、鹿児島県の川内原発は火砕流で壊滅することは間違いない。
日本列島で暮らすということは、そうした自然災害と常に背中合わせなのだ。災害に遭うことは決して不幸な偶然ではなくて、日本という国家で生きるすべての民にとっての必然なのである。だから相互扶助の精神が必要なのだ。被害に遭った人たちの救援や保護は日本人にとって大切な義務である。
22年前のこの日、押しつぶされた家の中に残された家族を助けることができなかった多くの人たちの無念を忘れてはならない。そして、家族に向かって「おまえたちは逃げろ」と最後の別れを告げた多くの崇高な魂があったことも記憶にとどめなければならない。あの震災を経験して我々の意識は変わったのだろうか。少なくとも一人一人の国民の意識は大きく変わったはずだ。何も変わらないのは政治家や官僚の価値観だけである。おまえらのくだらない利権や縄張り意識のためにどれだけ国民が犠牲になってきたのかわかってるのか。
あれから20年〜震災によって何が変わったのか?
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