2017年01月09日(月) |
約束を守らない人間と国家 |
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昨年に日本と韓国の間で慰安婦問題の解決のための最終的な合意が行われ、それに伴って日本政府からの10億円の基金が提供されたことは記憶に新しい。ところがそうした合意を反故にして韓国・釜山の日本領事館前に少女像が設置された。国と国が約束した「最終的な合意と解決」のはずだったのに、それを認めないという一部の人々の行動を韓国政府は止めることもない。日本政府はこの「約束を守らない国」に対して、駐韓大使を一時帰国させるという対応を行ったが、どうして「一時帰国」なのか。約束がきちっと履行されるまでは一切の外交交渉には応じないという強い態度をとってもよいのではないか。
「恩を仇で返す」ということばがある。韓国の取ってきた態度はまさにそれではないのか。個人の関係ならそんなヤツとは交際をやめてしまえばいいわけだが、国と国の関係なら話は別だ。今、日本と韓国が国交を断絶したら困る人もたくさんいるだろうし、両国は経済的につながりも深い。だからこそ両国の関係は修復しないといけないわけだ。そのための外交努力をいきなりぶちこわしたのが今回の少女像の設置ではないのか。
韓国人の慰安婦問題へのとらえ方の背景には、韓国で製作された偏向した内容のテレビドラマの影響が大きい。いたいけな少女が日本兵に脅されて無理矢理に慰安婦にされたというものである。そうして事実を著しく歪曲した内容がまるで事実であったかのように多くの韓国人にすり込まれているのだ。
昭和20年8月15日の終戦の日まで、朝鮮半島は植民地ではなくて日本そのものであった。朝鮮半島に居住する人々には選挙権も与えられ、ちゃんと国会議員にもなれた。朝鮮半島には日本本土と違って徴兵制度はなかったが、兵役を志願する者や軍人としての出世を希望して海軍兵学校や陸軍士官学校に入学する者もいた。洪思翊のように陸軍中将にまで進んで戦犯として処刑された者もいる。今の韓国大統領の父に当たる朴正煕も陸軍士官学校を出ている。軍人として出世する機会は日本人にも朝鮮半島出身者にも平等に与えられていたのだ。
従軍慰安婦となって戦場に赴いたのは日本人女性も多かった。貧しい農家の娘が一家の家計を助けるために身売りすることは、農村では日常的にありふれたできごとであった。それは日本本土でも朝鮮半島でも同様であり、また慰安婦には報酬が支払われたわけで、少なくとも韓国政府が世界に発信しているような「性奴隷」ではなかった。性奴隷というのは朝鮮戦争の時に国連軍のために設置された慰安所や、ベトナム戦争の時に大量のライダイハンを生み出す結果につながった韓国軍による性的虐待の中で存在したものである。
ところが慰安婦の存在を認めた日本政府と違って韓国政府はベトナム戦争時の韓国軍による性暴力に関しては一切公式に認めてはいない。それを報道したハンギョレ新聞は韓国人の在郷軍人会によって焼き討ちにされたくらいで、彼らにとってその事実を語ること、自分たちの黒歴史について触れることは大きなタブーなのである。個人のケンカならば「おまえの方がずっと悪いじゃないか」と言い返すところだが、そうした反論をしない日本政府の大人の対応に対して韓国政府や国民はますます増長して一方的に歪曲した主張を国際社会でばらまいてきたのである。
「ウソも大声で言えば世界に信じさせることができる」
「真実であってもずっと否定し続ければ世界をごまかせる」
こんな情けない価値観を未だに捨てられないガキみたいな国家と、対等の外交関係を持つことはもう不可能だ。日本政府はあきらめることも必要である。何事もあきらめが肝心、「こんなアホはもう見捨てる」ということも時には必要であり、いずれ日本だけではなくて世界が見捨てるような国家は早々と見切った方がいいのである。
日本統治時代に朝鮮半島には多くの学校が建てられた。人々がみな韓国語の読み書きができるように「ハングル」を学校で教えることとなった。学校制度の存在しない時代の朝鮮半島では文盲率は高く、読み書きができたのは両班と呼ばれる貴族階級だけだったという。李氏朝鮮の王族は日本の皇族に準じた待遇が与えられ、梨本宮家から方子女王が李垠と結婚して王妃となっている。
世界中に少女像を建てて回って日本を貶めることを生き甲斐のようにしている国民とどうして理解し合えるだろうか。恩を仇で返されたとき、我々はどう対応するべきなのか。もはや寛容の精神など不要である。あとは冷たく突き放すことだけだ。
世界にはロシア、中国、北朝鮮という3つの覇権国家と、それに加えて韓国という「国と国との約束」を踏みにじっても平気な国家が存在する。このような困った国に対しては馬鹿正直に向き合うことばかりでは外交関係は樹立できない。舐められないように「オレは怒ってるんだ!」という態度を示すしかない。
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