2016年07月27日(水) |
社会に不要な人間は誰か? |
携帯用URL
| |
|
神奈川県相模原市にある障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所者を次々と殺害した植松聖は、自分の起こす犯行を詳細に予告していた。このような狂った人間を、「未来殺人罪」という罪名で事前に検挙することはできないものかと、オレは昔観た「マイノリティ・リポート」という映画を思い出した。予知能力を持つ「プリコグ」と呼ばれるメンバーによって未来の殺人が予知され、事前に逮捕されるという話である。
植松は重度の障害者を「社会に不要な人間」と決めつけ、自己の大量殺人を正当化しようとしたわけだが、いかなる理由があっても殺人が正当化されることなどない。それはトルーマンの指示による原爆投下もそうだし、ISの無差別テロも同様だ。この世に生を受けた者は、すべて等しくその生命を享受する権利がある。誰もそれを勝手に奪うことなど許されない。唯一その生命を奪えるのが「死刑」というシステムであり、他者の生命を奪った矯正不可能な犯罪者を排除する仕組みなのだ。その「死刑」にもっとも相応しい罪を犯したのが、今回の植松聖容疑者である。
植松は衆院議長への手紙で殺人予告をしていた。その狂気の内容に彼は即座に措置入院という形をとられたわけだが、わずか12日間で退院している。病気が治ったといいうふうに判断されたのだろうか。もちろん「治ったふり」という詐病を見抜けなかったということなのだが、このような危険な人間であっても、犯罪を起こすまでは事前に拘束できない。しかし、少なくともこの犯行予告に関しては多くの人が知っていてもよかったのではないか。この男の顔写真と一緒に犯行予告そのモノは公開されているべき情報ではなかったかと思うのである。そうすれば少なくともみんながこの狂気の殺人者に対して警戒することが可能だったわけである。神奈川県警はこの男の動向をなぜ見張っていなかったのだろうか。これまでの数々の不祥事を思えば、そんなことを神奈川県警に期待する方がそもそも間違いなんだが。
彼は重度の障害者を「社会に不要な人間」と決めつけた。しかし、真に社会に不要な人間というのは、この植松聖のように大量殺人を正当化するような危険な考えを持っていて、それを行動に起こせるようなテロリストのことではないのか。
警察は事前にこの男の存在を知っていた。なぜ彼のクルマにGPS端末を装着してその行動を監視しなかったのか。オレは性犯罪者や麻薬・覚醒剤の使用者に関してはカラダにGPS端末を埋め込まれて常に行動を監視されても仕方がないと常々思っている。その存在が社会にとって危険な存在でありながらその生存権を保証しないといけないのならば、せめて他者に害を及ぼす危険がないように監視されても仕方がないと思うのだ。今回の大量殺人予告をただの与太話ととらえて黙殺したことが今回の事件につながったのだとオレは思っている。神奈川県警の不作為の罪はまことに大きい。
もっともこうしてオレが「不作為の罪」を主張すれば、大阪府警はもしかしたらオレのことを危険人物とみなして監視を強化し、オレのちょっとした交通違反も執拗に検挙しようとするのかも知れない。やってもいない違反で告発されないようにドライブレコーダーは必須だろう。
事件は起きてしまった。一瞬にして19人命を奪い、多くの重傷者を出す凶行はいとも簡単に起こされてしまった。ニースでは大型トラックを暴走させて大勢の人をはねるという無差別テロが起きている。狂気の人間にとって、大勢の人を無差別に殺すことはいつでも可能なのだ。社会はそうした理不尽な狂気に対して、どのように自分の身を守ることができるのか。
ただ、オレはこんなことも思うのだ。もしもこの植松容疑者が、「ポケモンGO」をダウンロードしてプレイしていれば、彼は凶行に走らずにせっせとゲームに熱中していたかも知れない。世の中を一番平和にするのは実はゲームの普及なのではないかと。
←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館