2016年06月15日(水) |
18歳に選挙権を与えることの意味 |
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いつから「テロリスト」は無差別に弱者を殺すただの外道になってしまったのだろうか。オレはもちろんテロを肯定するわけではないし、安重根や山口二矢といった過去の政治家へのテロを実行した男たちには「○○を殺す」という明確な意志があり、殺害の理由が存在した。しかし、現在のテロというのは攻撃の対象が不明瞭になり、その結果襲われる対象もまた一般市民ということになってしまっている。
大阪教育大付属池田小学校を襲撃した宅間守にとって、テロの対象は「社会のエリートに将来なるような子どもたち」だった。そうした犯罪者の心理というものに対してオレは詳しく分析したわけではないのだが、どうして自己のコンプレックスが、無差別殺人というところにまで発展して、そして暴発してしまうのか。秋葉原で無差別殺人を行った事件に対しても思うのだが、その暴発によって何かが変わったのかというと全く何も変わらない。
日本ではアメリカと違って一般市民は武器を持っていない。一度に百人以上を殺傷できる自動小銃が5万円で買えるアメリカと違って、一般市民は拳銃程度の小火器を手に入れるだけでもかなりの困難を伴う。豊臣秀吉の「刀狩り」以降、武士以外の一般市民は武器を持たないことが当たり前の社会が日本では安定して成立しているのである。
なぜ政治家は汚職をしていても悪びれることもないのか。それは日本には政治家の巨悪を罰するシステムが存在しないからである。小市民の犯罪は厳しく取り締まっても、政治家の巨悪が裁かれることは基本的にはない。億単位の口利きをして、贈賄側がはっきりと名指して告発しても甘利明は不起訴処分なのである。だから政治家は平気で悪いことをするのである。「だって罰なんかないし・・・」ということだ。公金で蓄財した舛添要一も、別に逮捕されることもない。「法的には問題ない」と検事上がりの弁護士がお墨付きを与えている。退職金をがっぽりもらって大手を振って辞めていくのである。
もしも市民が普通に武器を持っていたならば、その正義の銃弾は腐敗した政治家に向かうだろう。オレはそれを断言する。しかし、腐敗した政治家が問答無用で射殺される世の中なら、もっとクリーンな政治が行われるだろうかというとそれも否だ。それは「話せばわかる」と言った政治家を「問答無用」と射殺してから日本がどんな歴史をたどったかを振り返ればよくわかる。
もしも「ゴルゴ13」が実在するならば、死ぬ前に私財を「天誅」という目的のために使いたいという老人がきっと現れるだろう。腐敗した政治家を一覧表にした「天誅リスト」が公開され、そのメンバーが警察の警戒をかいくぐってリストにある人物を確実に仕留めていくならば、一般市民は拍手喝采するかも知れない。ただそれは「民主主義」の終焉を意味する状況である。
イスラム原理主義が世界で引き起こすテロは、残念ながら標的は無差別で一般市民に恐怖を与えることだけが目的だ。そこにある政治的主張に誰も同調などしないし、その行為が生み出すのは「怒り」と「悲しみ」だけである。
オレはいまの社会の閉塞状況を憂う。この状況を変える力はいったいどこから生まれるだろうか。私財を蓄えることしか考えていない日本の腐敗した政治家たちには何もできないだろう。それができるのはおそらく、ネットで市民が正義を語ることから生まれてくるのではないか。こんな世の中は間違っている。こんな理不尽な世の中を変えたいという小さな叫びが集まって世の中を動かすことが、いつか起きるはずだ。18歳の若者も投票できるようになる。若者がどんどん投票所に向かうことは、投票率の高い老人たちに支配されていた世の中を変える第一歩である。
すべての18歳の若者よ、せっかく手に入ったこの選挙権を行使して、必ず1票を入れよう。税金を蓄財のためにフトコロに入れるのではなく、社会をよりよくするために使うべきだと考えている政治家をこそ支持しよう。オレはそれを期待しているのである。
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