2015年09月28日(月) |
なんのために学ぶのか? 受験勉強中のキミへ〜 |
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ある生徒が夏休みの宿題を全然やらずにずっと遊んでいた。「どうしてやらないのか?」と問われた彼はこのように答えた。「だって勉強する意味がわからないんです」その問いはなかなか根源的である。ただ勉強をサボっていたり、ゲームに熱中していたために宿題をしない生徒と、「意味がわからないからしない」というのは違う。もしかしたら「意味もわからず宿題をしている」生徒よりもより勉強という行為の本質に彼は近づいているのかも知れない。そういうわけで学びの意味について考えてみたい。
人はなぜ学ぶのか。
これは「人はなぜ働くのか」という問いと似ている。まだ労働者でない学生たちにとって、誰もが当たり前にしている行為に対する疑問と同じだからだ。もちろん日本では働くことは義務ではない。たとえばある人が「オレは働きたくない」と宣言してニートになったとしても、ゼニがないなど多少の不自由はあるかも知れないが、生存権は保証されるし、最低限度の文化的な生活は営めるようになっている。それが国民の権利だからだ。だから「労働」は義務ではない。同様に「勉強」も義務ではない。「義務教育」という言葉があるがあれは翻訳が間違ってるのであって、正しく直訳すれば「強制教育」となる。馬鹿のまま社会に出てこられるといろいろとまわりが困るから教育を与えるというのが本来の初等教育の意味である。その「義務教育」から先の勉強をどうするかは個人の自由だ。
勉強することはどちらかというとしんどいことであり、あまり楽しいことではない。これは事実だ。そして人は楽しくないことはあまりしたくない。しかし、勉強することは多くのことをキミにもたらしてくれる。それはまぎれもない事実だ。それをまずわかってもらいたい。
まず1番目にこのことを言いたい。「勉強する」ことはお金をもたらす。君たちは自分で高校や大学の授業料を払ってるわけではないのであまり勉強とお金の関係について考えてことはないと思う。しかしそこにはしっかりとお金が結びついている。私立高校の中には特に成績優秀な生徒に対して奨学金を与えたりする学校がある。予備校の夏季講習などを受講すればお金がかかるが、その内容を自分で参考書や問題集を使って身につければ、その分のゼニは手元に残る。現役で国公立大学に進むのと、浪人して予備校にゼニを払ったあげくに私立大学に進学するのとを比較すれば1000万円近い違いがある。そう、キミがお金を払ってるのではないが、勉強をしなかったキミのために代わりにご両親がお金を払ってくれているのだ。まずちゃんと勉強することは間接的にキミにお金をもたらしている。
次いで2番目に「勉強することは明確な目標をもたらす」ことを忘れてはならない。受験生なら誰もが具体的に「京都大学に入りたい」とか「医学部に入りたい」という目標を持っているだろう。目標を持たないとそもそも勉強するモチベーションが上がらない。そうした明確な目標を持ち、それを達成するための勉強と考えれば、その価値は当然理解できるだろう。毎日をただなんとなく過ごしているよりも、目標があった方がはるかに生きることは意味を持つ。
3番目だ。「勉強することで出会いが生まれる」ことを忘れるな。勉強するために学校に通う。引きこもりでも勉強はできるかも知れないが、学校に通ってる方が情報も手に入るし、同じ目標を持つ仲間とも出会える。たった一人で勉強する孤独というのはつらいものだ。そうして進学すればそこでまた新たな出会いがある。世界が広がっていく。その出会いの中はもちろんすべてが意義あるものとは言えず、中には不幸な出会いもあれば、関わらない方がよかったような連中との出会いもあるだろう。しかし、全く誰とも出会わない人生よりは、多くの出会いがあった方がずっといいとオレは思っている。
4番目は「学ぶことで信用が生まれる」ということだ。勉強しないでも誰でも入れるようなFランク大学ではなく、ある程度世間に「入学偏差値が高い」と評価されているところに入学することができれば、それが周囲の人たちからのキミへの信用となる。毎日アダルトDVDばかり観てるただの変態オタクであっても、それが東大生なら世間は「変態オタク」とは思わずに東大生という属性で彼を評価してくれるし、変態オタクの部分は「変わった趣味をお持ちですねえ」というふうにただの一つの個性となる。もしもキミが変態オタクなら必死で勉強して東大生を目指すのがベストだ。
5番目だ。最後に「学ぶことで自信が生まれる」ということをわかってもらいたい。世間には妙なプライドや屈折した劣等感を持つ大人が実に多い。偏差値60の大学に通う人が偏差値55の大学を見下したような発言をするのを見るとオレはなんて情けないんだろうかと思う。どうして努力して自分が到達したモノに対して自信を持たないのか。人になんと言われようと、自分が努力して築き上げた価値に対して絶対的な自信を持つべきだ。それは本当に真剣に学んだからこそ手に入るものであり、手抜きをしたりずるいやり方をしていては手に入らないものだ。宿題を自力でしなかった生徒が、休み時間に友人の答えを丸写しさせてもらって授業に臨んでいればどうして「自信」なんてものが手に入るだろうか。「自信」とは自分の力で成し遂げたときにだけ生まれるものである。
さて、ここまで書いてきた理由は実は最近オレは「何のために働くか」ということについてふれたすばらしい文章を読んだからである。そこにある「働く理由」の多くが学ぶ理由に根っこの部分でつながってることがわかったので、この日記を書こうと思ったのである。パクリであることを暴露するので、その引用元のリンクも最後に張っておく。
「なんで働かないといけないんですか?」と聞いた学生への、とある経営者の回答。
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