2015年01月07日(水) |
動物愛護団体の馬鹿 |
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長野県の諏訪大社では、生きたカエルを串刺しにして神前にささげる「蛙狩神事(かわずがりしんじ)」。という行事が行われている。元日の朝、諏訪大社の上社本宮近くを流れる御手洗川に生息する蛙を捕まえ、矢で射ぬき、いけにえとして神前にささげる。その際、国家平安や五穀豊穣を祈願するのである。
この伝統ある神事に対して、なんと動物愛護団体が抗議活動を行ったというニュースを聞いてオレはあきれてしまった。なんという馬鹿だ。無差別に川の多数のカエルを皆殺しにしてるわけではないのである。神事として一匹捕まえて生け贄にしてるのである。なぜそれが非難されることになるのだろうか。
オレはこのクソみたいなことを訴えてる動物愛護団体の連中に向かって言いたい。
「おまえら全員、生き物の命を奪わずに生きてるのか?」
と聞いてみたいのである。我々人間が生きている以上、さまざまな動植物を食料として摂取して生きている。もしもこの動物愛護団体の方々が特殊な身体構造をお持ちで、全く食物を摂取しなくても光合成などの方法で自らエネルギーを作り出すことができ、一切の殺生を行わないで生きている人なら「生き物の命を奪うな」という訴えは正当かも知れない。しかし、たぶんこの似非動物愛護団体の連中は、焼き肉パーティをしていたり、寿司が大好きだったりするのだろう。牛を殺さないと焼き肉は食えないし、魚を殺さないと寿司にはならない。つまり、人は他の生命を犠牲にして生きているのである。「殺すな!」と言うのは無差別に意味もなく殺しまくる不毛の行為に対してだけ言えばいいのだ。
北アメリカに多数棲息していたバッファローを面白半分に撃ち殺したアメリカ人の行為とか、タスマニア島に住んでいた原住民を趣味のハンティングの対象としたイギリス人の行為とかが「野蛮人の行う残酷な行為」なのである。神事としてカエル一匹の命を奪う行為はただの伝統儀式であり何も文句を言われる筋合いはない。
オレは「動物愛護」と声高に叫ぶ連中がたいていイカサマであることを知っている。たとえば戦後間もない頃、日本では鯨肉が国民の貴重な食料として機能していたが、「日本人にもっと牛肉や豚肉を食わせたい」(そうするとアメリカからの飼料や肉の輸出が増える)という意図を背後に隠した「反捕鯨活動」が盛んとなった。建前は「反捕鯨」「かわいいクジラを殺すな」だが、その本音は「日本人よもっと牛肉を食え」なのであった。
南氷洋で調査捕鯨をしている日本の漁船に対して妨害活動をしているシーシェパードの連中は、その反捕鯨活動によって寄付金などを集めることを目的にした金儲けのためのテロ集団である。彼らの行動はすべて馬鹿で金持ちの奴らからの寄付金集めが目的であり、真の動物愛護の精神などカケラもない。また、シーシェパードに寄付してる大金持ちの中には「趣味はハンティング」で、アフリカで大型動物を撃つのが大好きな奴もいるのである。何が動物愛護だ馬鹿。
命を愛するということは、自分の命をかけて守るということだ。映画「風の谷のナウシカ」で、ナウシカが「蟲(むし)を殺さないで」と身を挺して叫んだように、たとえ自分が犠牲になってでも殺すなと訴えることだ。諏訪大社で「カエルを殺すな」とほざいてる連中の中に、「カエルの代わりに私を生け贄にしてください」と本気で命を捨てられる人間がいるか。もしもそこまでやれる人がいるなら、生け贄のカエルの代わりに死ねる人間がいるならオレはその訴えが本気であると認定してやろう。そんな強い意志を持った者など誰もいないはずだ。
ただの政治的主張のために、あるいは金儲けのために「動物愛護」を利用してるイカサマどもにだまされず、人々はその背後にあるものの正体を見抜く目を養う必要がある。何が残酷なのか、何が真の動物愛護なのか。
人々が何気なく食べてるチキンナゲットの鶏はどんなふうに生産されてどんなふうに殺されているのか知ってる人はどれくらいいるのだろうか。きっとこの諏訪大社の神事に抗議してる奴らも、チキンナゲット大好きだったりするのだろう。実にばかげた話である。
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