2014年09月17日(水) |
イスラム国のもたらすメッセージ |
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イスラム国が建国された。もはやそれは単なるテロ集団とは言えない規模となり、国家の形態をなすようになった。統治機構は整備され、革命の戦士である兵士にはきちんと給与が支払われて住居も提供される。原油を闇市場で売却したりして外貨を稼ぎ、一方で身代金ビジネスにも手を染める。欧米が勝手に引いた国境線などというものを無視して自分たちの国家を作り上げようとしているのだ。
オレはテロリストを擁護するつもりはないし、その活動自体を支持する気も毛頭ない。しかし、イスラム国の存在を許さないとする欧米の姿勢は果たして正しいのだろうか。そもそも中東やアフリカに勝手に国境線を引いて文化的・歴史的な地域のつながりを無視し、その土地にもともと存在した人々の幸福な日常を破壊したのは西欧の諸国ではないのか。アフリカから大量の黒人を奴隷として強制連行し、その土地の生活や文化を徹底的に破壊し尽くした欧米人はその償いをしたことがあるのか。アメリカもスペインもイギリスも、そうした人道に対する罪に対して何の謝罪もしてないとオレには感じられるのである。
今ここでイスラム国の存在を認めないということになれば、アメリカとの間に戦争が起きるということになる。アメリカはいずれ地上部隊を投入することになるかも知れない。しかし、そうして勝手に「民主主義」を押しつけたところでその後に平和な社会が訪れるのか?
イラクはフセイン統治時代の方がずっと平和で住みよい国だった。今は無法地帯となりつつある。アフガニスタンはどうか。タリバンは結局追放できずに勢力を保ってるし、強制排除することもできない。もしも排除しようとしたら一般住民を巻き込んだ大虐殺につながってしまうのである。欧米の論理で勝手に支配者を排除し、そこに自分たちの価値観で「民主化」などというものを持ち込んでもうまくいく国など一つもないのである。かつて植民地支配されていた国でまともになってるのは日本が支配した地域だけだ。欧米は植民地から搾取しかしなかったが、日本はそこを日本のようにしようとした。そこに決定的な差違が生まれているのである。
イスラム国が独自の価値観に基づいて支配地域を拡大し、一つの国家を建設しようとしているとき、そしてその国がちゃんとした秩序をもって運営されているとき、それを排除することは正しいのか。少なくとも彼らは「自分たちの国を自分たちの手で自分たちらしいやり方で」治めようとしているのではないか。
もしもイスラム国が教育制度や福祉制度を完備させて、その国民を幸せにできるような政策を導入したとき、またそれが成果を上げたとき、多くの国民が不幸な状態におかれている日本やアメリカにはイスラム国を否定する資格はないのではないか。
かつて日本は満州国を建国して、そこを「五族共和の精神」で統治された王道楽土にしようした。そのもくろみは敗戦によって砕け散ったが、あの時代に「五族共和」という価値観を持ってそれを実践しようとしたことはすばらしいことではないのか。同じ頃のアメリカはひどい人種差別国家であった。その人種差別の価値観は欧米人にとっては至極当然のことであり、白人は有色人種を劣等民族と見なしていた。日本が国連に提案した「人種平等宣言」は却下されてしまった。日本は人道的に正しいことを提案したのに、それは白人中心の社会の中でいったん否定されたのだ。あの時代、日本だけが世界で正義を実践しようとしてのだとオレは感じるのである。ありえないことだが、アメリカでもなくドイツでもなく、日本が世界の覇者となっていれば世界は今よりもはるかに平和になっていただろう。日本だけが世界に普遍的に通用する「徳」を体現できていたのである。だから日本の植民地であった国々がその後独立を勝ち取って自立していけたのである。
今の世界で世界に大義を示すことができる国家があるだろうか。ウクライナにはウクライナの論理があり、ロシアにはロシアの事情がある。欧米の各国は結局のところ利害だけで動く。アメリカは自国のシェールガスをヨーロッパに売るために今のウクライナ危機を利用しようとしている。だからこそイスラム国の問題に関して足並みがそろわないのである。
イスラム国がテロリストの供給源となって、世界のいろんな都市で自爆テロを行うようになった時、世界はどのように対処すればいいのか。テロとは言いながらそれはただの無差別殺人である。しかし、我々はすでに「戦争」という名の無差別殺人を肯定しているではないか。広島・長崎への原爆投下を正当化する国家が、自国の国民に対するテロを否定するのは矛盾していないか。市民に対する無差別虐殺をかつて大統領の命令で行っておきながら、それが自国民に向けられる可能性については何も考えなかったのか。
かつて日本の指導者たちは、本土決戦になれば爆弾を抱いて戦車に突っ込んで死ねと若者に命令した。それを愛国的行動と呼ぶならば、イスラムの指導者がテロを命じることとどう違うのだろうか。
オレは戦争でなんか死にたくない卑怯者である。そして日本が9条で戦争放棄する理由は「そんなくだらないことで死ぬのはばかばかしい」でいいと思う。イスラム国の若者たちや戦士たちが「死ぬなんて実に馬鹿馬鹿しい」と思い、日本製のゲーム機に熱狂し、武器を捨ててくれることを願う。どうすればそうなるのだろうか。少なくとも西欧の諸国が力で中東を支配しようとしたことはすでに破綻しているのだ。彼らを屈服させられるのは核兵器を背景にした力の外交ではない。ではどうすればいいのか。オレは報道に接しつつ、そういう途方もないことを考えているのである。
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