2014年04月28日(月) |
教育とは「愛」である |
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キリスト教には「汝自身を愛するように、汝の隣人を愛せよ」という教えがある。そして、誰かのために自分を犠牲にすることはもっとも崇高な行為であると書かれている。仏教には「慈悲」の心がある。儒教には「仁」という価値観がある。日本では学校で「お友達とは仲良くしなさい」と教えられることがあっても、まさか「隣国を恨みなさい」と教えることはないだろう。
ところがそうして「隣人愛」を教えることなく隣国を敵と見なし、隣国から受けた恩を全く教科書には載せずに事実とは異なる隣国の悪口を書き、「恨(ハン)」という価値観をもっとも大切にしたらどのような国民になるのか。船が沈没しそうになったら乗客を見捨てて真っ先に自分たちが逃げ出す船長や乗務員たちをみればよくわかるだろう。
日本は太平洋戦争の敗戦から多くのことを学んだが、韓国は朝鮮戦争で同胞で殺し合っても何も学ばなかった。「恨」は何一つとして未来につながるよいものなど生み出さないのに、その「恨」を国是としてしまったところにかの国の悲劇が存在するのである。
アメリカで地方都市に慰安婦像を建てて回ろうとする韓国系米国人の行動の根底に流れる動機もまた「恨」の現れである。「日本人とはこんなに悪い人たちなんですよ」と世界中に宣伝する行為の底にあるものは何か。それは日本人に対する嫉妬である。お隣に繁栄を遂げた立派な国があって、世界の多くの国から好意的に思われている。その隣国に嫉妬する韓国人の精神の根幹となっているのは「恨」の思想である。
韓国では「親米」「連中」「用日」というスローガンがあるらしい。米国とは親しくして、中国とは連帯し、日本は利用しようということらしい。彼らにとっては隣国との友好や、日本国民に対する敬意など毛頭無いのかも知れない。日本の朝鮮半島支配には功も罪いずれもあったとオレは思っている。両班の身分を廃止し、人身売買をやめさせ、「シバジ」などの風習を禁止したことは近代国家として当然のことであったと思うし、朝鮮半島に居住していた人たちにも選挙権があって日本の国会に国会議員を送り出すこともできたし、陸軍中将となった洪思翊さんのような方も居た。少なくとも韓国人が「反日」となるのは、日本統治時代を知らない子どもを政治家が反日教育で洗脳するようになってからである。
韓国船沈没事故の際にすぐに支援表明をした日本政府に対して「支援の必要は無い」と韓国政府が断った理由は、もしもここで日本政府の支援のおかげで人命が救助されたら、「反日」を国是としていることとの整合性がとれないという面子の問題だったのかも知れない。国家を担う若者の生命よりも政治家のくだらない面子が大切なのだ。
あの戦争からもうすぐ70年になろうとしている。これから我々が目指さなければならないことはくだらない面子を捨てることだ。そんなものは何の役にも立たない。これまで政治家がどれだけ嘘をついてきたとしても、そんなことはもうどうでもいい。それよりもこれから先の未来において、日本と韓国、中国がどんな友好関係を築けるかということなのである。
街で買い物をしていると、中国語や韓国語で会話してる人たちと必ずすれ違う。隣国であると同時にすでに隣人なのである。もうすっかり日本の社会の中では普通に韓国の方も中国の方も暮らしてるのだ。満州国の建国の理念の中にあった「五族共和」の精神は形を変えて現代の日本でみごとに達成されていると言える。日本の大相撲ではモンゴル族が活躍している。その隣人たちを「愛する」ことを教えることは教育の崇高な責務である。
もちろん日本だけが「隣人愛」を説いたところで隣国は徹底して反日教育を貫くに違いない。韓国にしても中国にしても、政治家は実際の経済活動という実益よりも面子を重視する馬鹿、いや料簡の狭い方々なのである。日本企業がその結果撤退してもそれが自分たちの政策の結果だということに気づかないのである。
「汝の隣人を愛せよ」と言っても、どこかの性犯罪国家ではきっと全く別の意味に誤解されてしまうのだろう。正しく愛することは難しいのである。
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