2014年03月05日(水) |
高速バス事故について考える |
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少し前だったか、ものごとをすべてゼニカネの問題にしたがるある男が「大阪市バスの運転手の給料が民間に比べて高すぎる」と主張して下げさせたことがあった。そのときになぜ「民間の待遇も改善して、大阪市バスと同水準にする」という発想がなかったのか。「安い方に合わせる」という具体例としてはユニクロという巨大なブラック企業の社長も確か「世界同一賃金」ということを自慢していたことを思い出す。「グローバル化」というかけ声が結局は「世界で一番安く働く労働者を求める」という方向にだけ機能するのなら、そんなグローバル化は労働者をただ効率よく働く奴隷としか考えてない発想である。オレはそういうものを拒否したいし、オレが常に求めるものは「ゼニには換算できない価値」である。
バス運転手の労働単価を切り下げ、高収入を得るためには休み無く乗務しないといけないような劣悪な環境下に置き、その上で「安全運行」を求めるのは無理である。年間に数十件の高速バスの事故が起きているのだが、その原因の多くは過労運転に由来するものであるし、休み無く働かされた結果として脳梗塞や心筋梗塞を発症して運転中の突然死となるのならば、それは乗務員の健康管理を怠ったバス会社の責任であり、事故を起こした個人のせいではない。
高給をもらっでもちっとも働かない阪神タイガースの外人選手のような例もあるが、普通は「高給に見合った仕事」というものを我々は考える。いつからバスやタクシーの運転手が長時間労働してもそれに見合った収入の得られない不幸な職業になってしまったのか。どうすれば彼らに高給を保証できるのか。なぜバス会社やタクシー会社は自分たちにとっての財産である運転手を冷遇し続けるのか。いくらでも交換可能な使い捨ての資源だと思ってるのなら、その発想自体を改めないといけない。
事故が相次いだために昨年からツアーバスは大幅な規制を受けることとなった。ところがその規制内容は「バス停を作れ」などというお粗末なものであり、安全運行に直接関わらないのにバス会社の負担だけが増えるという意味不明なものだった。結局官僚どもがなんらかの利権を得るために行われた規制であり、実際に事故の減少につながったわけではない。
筒井康隆が昔書いたSF小説に、世の中の価値観がすっかり変わって、ホワイトカラーのサラリーマンの身分が低く、現業職の名称がみんな変わって威張ってるというのがあった。タクシーの運転手は「ドライビングスペシャリスト」、クリーニング屋さんは「ランドリーエキスパート」と呼ばれ、大工さんの機嫌を損ねると建築中の家を放置されるので必死で接待しないといけないとか、無礼な態度を取るとタクシーから放り出されるとかいうものでオレはゲラゲラ笑いながら読んだのだが、その面白さは「仕事をしてお金を受け取る方が威張っている」という部分にあったのだと感じるのである。
いつからお客様は神様なんかになったのだろうか。ゼニを払えばなんでも聞いてもらえると錯覚したのだろうか。同じ仕事をするのにより安いゼニで働く人間を選ぶようになってしまったのか。仕事をしてくださる方々への敬意をなぜ失ったのか。
昔は散髪に行けば3000円くらい払うのが普通だった。しかし今では1000円の理髪店がある。確かにサービスの中味は違うのだが、日本の理髪師の技術は世界一だとオレは思う。その高い技術に対してあまりにもこの対価は安くないか。
さまざまな職人的技術を提供して働く人々の報酬が安くなる一方で、ゼニを右から左へ動かし、マウスをちょいちょいとクリックして株や為替で稼ぐ人たちが巨万の富を得る。それは果たして正しい姿なのか。
昔はタクシーの運転手は裏道に精通し、有名観光地だけではなくて街角の小さな喫茶店や定食屋に至るまで頭に入れていて、利用者のあやふやな指定に対しても的確に答えるものだった。ところが今はカーナビがあるので道を知らなくても大都市で乗務できるようになった。「高度な専門職」は「誰にでもできる普通の仕事」になり、その結果として給料が減らされ待遇が悪くなってしまった。それをよいことだと考える経営者はクソだとオレは思うのである。
高速バス事故を100%防ぐ方法はない。ただバス会社は安さだけを価値として追求するのではなく、「うちの会社は運転手の乗務時間を月150時間以下にしています」などというふうに運行管理面をアピールして欲しいのである。「高いけど安全」ということを強調し、遠隔管理で運転手の運転中の顔が常に運行本部で確認でき、異常があれば即座にバスを安全に停止できるような自動運転装置が備わってることをこそアピールしてもらいたいし、客もそれをバス選びの基準として考えればいいと思うのだ。
たっぷり休むからこそ人は仕事の時に能力をフルに発揮できる。長距離バスの運転手が十分に休養できて高給の保証された職業ということになればその職業に就くための競争も激しくなり、より優秀な人材が確保できるということになるだろう。日産自動車のカルロス・ゴーンCEOのように大胆にコストカットする経営者がもてはやされた時代はもう過去のものにしてほしい。我々日本人が世界にアピールする「おもてなし」の精神は、余裕の中でしか生み出せないものである。
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