2013年11月22日(金) |
中国の警察では拷問が行われています |
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日本では犯罪者の人権がとても保証されている。殺人事件の容疑者であっても丁重に扱われるし、無差別殺人を行った外道だからと取り調べの刑事にぶん殴られるわけでもない。たまに恫喝したり机を叩いたりする取り調べもあるそうだが、それらは「違法な」取り調べとされ、そうやって作成された供述調書は無効となったりするのである。きわめて犯罪者の人権が守られていてうんざりするほどなのが日本である。
それと大きく異なるのが中国の状況だ。中国では犯罪者には人権などない。ひとたび疑いを掛けられたらもうおしまいである。拷問によってやってないことまで自白させられ、刑務所にぶち込まれるのだ。ところが党幹部の子弟などが逮捕されてもお目こぼしがあったり裁判に圧力がかけられたりして罰が軽くなるのである。賄賂も横行しているしむちゃくちゃな状況が今も改善されてないわけだが、それを中国政府も認めているという記事があった。産経新聞から引用しよう。
日常的な拷問認める 中国、冤罪防止の意見書
2013.11.21 19:44 [中国]
中国の最高人民法院(最高裁)は21日、冤罪を防ぐための「意見書」を発表、取り調べ段階などでの拷問を禁止したほか、裁判所に世論や当局の圧力を理由に判決を曲げないよう指導した。中国では警察などによる拷問や虐待が日常的に行われており、意見書はこうした司法手続きをめぐる不正を公式に認めた形だ。
警察、検察、裁判所の司法機関内の癒着に加え、司法機関と行政機関の癒着も深刻で、多くの冤罪を生む原因となっている。意見書は、共産党が12日に閉幕した第18期中央委員会第3回総会(3中総会)で打ち出した司法改革方針に基づいて出された。
意見書は「自供至上主義」をやめ、証拠に基づいて司法手続きを進めるよう要求し、拷問や虐待によって自供を引き出すことを禁じた。裁判所が警察や検察と協力して判決を決めることも禁止するとした。(共同)
警察・検察・裁判所という司法機関が癒着しているだけではなく、司法機関と行政機関までもが癒着していればもうやりたい放題である。先に結論が用意されていて、それに合わせて警察・検察・裁判所が結託して党幹部の子弟の犯罪は見逃したり、金持ちが賄賂を払って替え玉の人間に懲役刑を受けさせたりするという日本では考えられないことが可能になるのである。
日本の場合は犯罪者の人権が守られすぎて外道でも軽い罰しか与えられないことが問題になるのだが、中国の場合はそもそも公正な裁判が行われないことが問題であるわけでどちらの方が好ましいのかはオレにはなんともいえない。オレのような暴言を吐いていれば中国では政治犯として逮捕されて拷問で殺されたり、強制労働させられて収容所で殺されるわけだが、幸い日本では何を書いてもそれでいきなり逮捕されるということはない。そういう意味ではオレは日本人に生まれてきて良かったと考えるべきなのかも知れない。もっとももしも中国に生まれていれば今のように自由に物事を考えることはできなかっただろう。教育が偏向しているからだ。
文化大革命の時に多くの人々が茶番劇のような人民裁判によってその地位を追われ、迫害された。中国では裁判というのは常に誰かを陥れるための道具に過ぎない。日本のような犯罪者の権利を守るための裁判なんてものも間違ってるが、中国の裁判はとにかくひどすぎる。だから人々は常にずるく立ち回ろうとするのである。無実の者が裁判に掛けられたとき、日本では「オレはやってないのだから有罪になどならない」という信念を持って法廷に立ち、そこで真実が明らかになるはずなんだが、中国では「これはオレを有罪にするために手続きだ」と覚悟して法廷に立つことになる。被告の考えてることは日本と中国では全く違うのだ。
どうすれば中国の人々を救うことができるのか。それはこの事実を世界の人々が共有することである。そしてスペインのように裁判を起こして為政者の罪を問うことである。スペインではチベット難民が江沢民ら中国共産党幹部の大虐殺の罪を告発している。「おまえらのやってることは世界が許さない!」という価値観を世界の国々が共有することでしかあの国の暴走は抑えられないのだ。
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