2013年11月10日(日) |
受験生、あきらめの法則 |
携帯用URL
| |
|
センター試験ももうすぐだ。もちろんオレが勤務する高校の生徒たちもラストスパートという感じで必死で勉強しているわけだが、その中にほんの少数「もう合格をあきらめた」という感じの生徒もいる。今日はそんな生徒の見分け方を説明しよう。
合格可能性が高い生徒の中には基本的に「オレはもう安心だ」と勉強を休んだりやめてしまう受験生はいない。それはなぜかというと、そういうレベルの受験生というのは70%なら80%に、80%なら90%に・・・というふうに最後まで必死に勉強して限りなく100%に近い勝利をものにしようとするからである。
ところが逆に合格可能性がほとんどゼロのような受験生の中には、「どうせ落ちるのに勉強するだけ時間の無駄」という考えから学習時間が減少する、あるいはゼロになる者が出てくるのである。この「時間の無駄」という考えに支配されればもうそいつはダメだ。受験生としては終わったと言うしかない。
時間を掛けたから必ず成績がアップするかというとそうでもないし、特にある程度やってる者ほど伸び悩むのである。センター試験の得点率50%しかない者がそれを60%台にするのはたやすいが、80%とれてる者が同じようにさらに10%伸ばすのは至難である。上に行けば行くほど「1点を争う勝負」になるのだが、そういう厳しさを理解しない馬鹿な文部科学大臣が100点きざみの幅でざっくりと分けようなどと考えてるようである。
オレには馬鹿の考えは理解できない。馬鹿ほど「もしかしたら偶然選んだ答えがことごとくヒットして夢のような高得点がとれるのじゃないか」と受験を宝くじのように誤解している。ところが現実にはそういう馬鹿はかなり多いのである。どうせ落ちるけど東京大学は受けよう!などという「記念受験」組もかなり存在する。いやいや、そういうのは時間の無駄である。
たとえ現役合格は無理だと思っても、そこであきらめてしまうと一浪での合格もできなくなるのである。勝利の女神は最後まであきらめずに必死に取り組んだ受験生にだけほほえんでくれるのだ。だからオレは言いたいのである。全力を尽くせということを。大学生になれなくても、せめて「見込みのある浪人生」にならないといけないのだ。
かつて公立高校に勤務してた頃には大勢の記念受験組がいた。「なんで絶対無理なのに受けるんだ!」「だって、予備校で阪大落ちたから来たというとカッコいいじゃないですか」そのカッコつけたヤツは2浪の末にいわゆるFランク私大に進学していった。勉強しない者ほどカッコを気にするのである。受験勉強というのが泥臭い地道な努力を必要とする行為であることを理解できていないのである。
大学受験とはふだんの高校の勉強の延長線上にある。高校一年の1学期の中間試験からすでに戦いは始まってるのである。その時に勉強しなかった借金は必ず返済しないといけないのだ。それは2ヶ月ほどで簡単に取り戻せるような甘いモノではない。「これまで全然やってないけど、がんばったら阪大くらい入れますか!」などとほざく無礼者は阪大の受験生に土下座すべきである。全然やってこなかった時点ですでにおまえはアウトだ。予備校で2年くらいかけて借金返済して来いと言いたいのである。
「まだ2ヶ月あるし、今覚えても忘れそうなので・・・」いやいや、おまえは永久に覚えられないって。
真面目な受験生は今は誰でも「時間がない!」と切実に思ってるはずだ。こんな大事な時期にのんびりとテレビでアニメを見たり、友人とおしゃべりやカラオケを何時間もしているヤツは「すでにあきらめた受験生」なのである。それが就職を左右し、人生を大きく決定する大事な関門であるということに全然気づいていないのである。
←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館