2013年11月05日(火) |
大阪市大と大阪府大の統合は白紙撤回せよ |
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大阪市立大学は歴史と伝統のある大学である。戦前から存在した「旧三商大」と言われる大学の一つで、一橋大学や神戸大学と並び称された大学なのである。これらの大学の前身機関は、それぞれ高等商業学校から大学令による大学へと昇格した東京商科大学(旧東京高等商業学校))、神戸商業大学(旧神戸高等商業学校)、大阪商科大学(旧大阪市立高等商業学校)である。なお、旧学制においては、商大(商科大学、商業大学)と呼ばれるものは以上の三校しか存在しなかった為、実質的には旧制商大といえば、旧三商大と同義となる。戦前に日本にあった商業大学はこの3校だけだったのである。
一方大阪府立大学は戦後に設立された新制大学である。歴史の古さも全く違うし、その設立の経緯も大阪市立大学とは無関係である。大阪女子大学、大阪府立看護大学、大阪社会事業短期大学などを吸収して拡大していって今の形態となった。この2校の歴史はこれまで一度も交わったことはない。
橋下大阪市長は、大阪都構想の中で府と市をひとつにすることの象徴的な意味を「大阪市大」「大阪府大」の統合に持たせようとしている。「大阪に公立の大学は2つもいらない」と声高に主張し、統合して経費節減というリストラ効果を生み出そうとしているのである。ただ単にゼニの問題だけで統合を推進しようとしてるのだ。もちろんキャンパス統合などということは現実問題として不可能である。分散したキャンパスのままで一つの大学と言うことにされてしまうのだ。それぞれの大学の卒業生、特に戦前からの伝統校である大阪市立大学のOBたちはこの動きに対して激しく拒否反応をしているはずである。
オレは学校というのはひとつの文化であると思っている。教員と学生が一緒になって作り上げた文化が「校風」と呼ばれるのである。その大学の「自治」を権力が押しつぶすことなどあってはならない。学問の自由を守ることはもっとも大切な大学の機能である。
学長選挙を大学が行うことに対して、橋下大阪市長は「学長は任命制に」と主張している。「学長を選挙で選ぶなんておかしい」というのが橋下市長の考えだが、だからこそ大学の自治は守られるのではないか。もしも学長が市長に任命されるのならば、市長の言いなりの行動しかできない傀儡学長になってしまう。あんたはどこまで大阪を自由に支配したいのか。
橋下市長の教育政策は他にも問題が多い。たとえば来春から大阪府立高校の学区制が廃止されて、どこからでも北野高校を受験できるようになるわけだが、そんなことをすれば大阪の府立高校は北野高校を頂点とするピラミッドの序列に組み込まれ、2番手以下の高校のレベルは極端に下がってしまうだろう。トップ校以外のすべての学校を負け組にしてしまうのがこの学区制廃止によってもたらされるものなのだ。
学校とは変わらないからこそいいのである。もちろん最新の学問研究の成果はどんどん取り入れるべきだ。しかし基本的に学校とは変わってはならないのである。オレは大阪府立生野高校を卒業した。オレは今でも生野高校の校歌「登高賦」を歌詞カードを見ないで歌える。そこで出会ったすばらしい恩師たちがいたからこそ今の自分があると言える。しかし大阪府の教育行政はそうした伝統校の教員をどんどん転勤させ、10年たてば教員が全員入れ替わるというとんでもないことをやってしまった。それぞれの学校を代表する名物教師たちによって支えられてきた歴史や伝統をぶちこわしたのだ。
高校教師になったばかりの頃、オレはいつか母校の生野高校の教壇に立ち、そこで愛校心あふれる生徒たちを育てたいと思っていた。母校の歴史と伝統を担う教師の一人となれることを夢見たのだ。しかし、10年で教員が全部入れ替えられてしまうならば伝統校の文化は破壊される。(もっともその中でも桜宮高校の体罰教師はずっと居続けたために校長以上の権力者になれたわけだが・・・)
かつて大阪府には9つの学区があり、それぞれの地域の居住者は基本的にそれぞれの学区のトップの高校を目指すこととなった。目指すべき山が9つ存在したのである。そのどの山からも東大や京大を目指すことができたのだ。しかし、北野を頂点とする大きな一つのピラミッドにするならば、東大や京大に入れるほどの学力のある生徒はすべて北野高校に集中することとなる。橋下市長の推進しようとしているのはそういう流れだ。優秀な生徒が入学しなければ他の学校はどんどんレベルが下がってしまう。それが橋下市長流の「競争原理の導入」なのである。
大阪市大と大阪府大、二つの異なった個性のある大学が存在することで、受験生にはどちらを受けるかという選択肢が生まれた。それを統合してしまえば、それぞれの過去の歴史とのつながりが破壊されてしまうのである。大阪外国語大学が大阪大学に吸収されて外国語学部となり、少人数教育の良さが失われマイナーな言語を担当する非常勤講師たちが大勢解雇された。もと大阪外大の卒業生たちは母校がなくなるという寂しさを味わったわけだが、大阪大学の外国語学部にされたことで何か大きなメリットがあったのか。
大学統合にメリットがあるとするなら、それはただ単にゼニだけの問題だ。だが失われるモノはゼニでは買えない価値だ。この世のものをすべてゼニに換算しようとする人間はグローバル化を無条件に受け入れ、TPPを肯定し、1円でも安いことは善だと考える。しかし、世の中にはゼニでは動かない人間もいれば、高くても好きな店で買うというへそまがりもいるのである。人間はただの労働資源でもなければ、ゼニで支配できる道具でもない。ちゃんと心を持って自分の意志で行動する存在である。そのハートの部分を踏みにじって平気なヤツにオレは教育行政を任せるわけにはいかない。
堺市長選挙の敗北で大阪都構想は事実上不可能となったのではないか。その看板を下ろせば維新は滅びてしまうかも知れないが、滅びるのならついでにこの大学統合も話も白紙撤回してから滅びてほしいのである。
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