2013年11月03日(日) |
人物本位なんてふざけるなよ! |
携帯用URL
| |
|
どうかお読みになる前に←応援のクリックをお願いします! m(_ _)m
なぜ共通一次やセンター試験が導入されたのか。難問奇問が続出するようになった入試を改めて、高校で学ぶ基礎学力を問う内容に近づけるためである。もちろんその後で高校のレベルがどんどん下がって、基礎学力を問うはずの問題なのに難しくなってしまったということが起きてしまったが、それでも今のセンター試験が「基礎学力」を問う内容であることはゆるぎもしない。医学部を目指そうとという受験生がそんな易しい試験で9割くらい取るのは当たり前だし、その試験で6割くらいしかできない受験生は基本的に努力が足りず基礎学力が低いということである。なんでこんなこともわかってないのかという凡ミスを数多くしているはずだ。
成績上位の層にとっての1点の差は、下位層にとっての10点、20点の差と同じである。だからできる生徒にとっては「1点を争う」入試になることは当然の結果であり、その1点を軽視することなど決してできないのである。だからオレは「マークミスがないようによく見直せ」と言う。受験番号を書き忘れてる答案がセンター試験全体の0.1%くらいあるという。その結果不合格になるとしても、そういう不注意な者は別に救済する必要はない。大事なときに必ず凡ミスをするということがその受験生の持って生まれた宿命ならばそれもまた受け入れるしかない。
「人物重視の入試」というが、その人物を判断する基準は何か。Aという人とBという人を比較して人物で優劣を付けるなんてことが果たして可能なのか。もしもその二人が美人とブスなら、美人の方が人物として評価が高くなるかも知れない。人物重視というのは実はそういうことなのである。学力重視と比べていかに不公平なことだろうか。
オレは生徒に向かって言う。「受験は平等だ。イケメンもブサメンも関係ない。努力して高得点を取ったものが勝つ。しかし恋愛は不平等だ。イケメンや金持ちは最初から優位に立っている。」学力重視の今の試験制度こそもっとも公平なのである。カネを掛けて塾に行かせても100%できるようになるかというとそうではない。本人の努力なしには結果は出ない。努力しない者にはどんなすぐれた家庭教師も予備校も効果をもたらすことはできない。
人物重視の試験でいったい何をみるのか。ボランティア活動なんて、入試のために利用しようと思ってはじめる時点でクソである。そんなものに何の価値もない。それが無償の行為であるからこそ価値があって意義があるのであり、ボランティアしたから入試で評価しろなんてことになればそれこそ本末転倒である。
朝日新聞の記事を引用しよう。
大学入試「人物本位の選抜に」 再生会議が提言2013年11月1日05時33分
【村上宣雄】政府の教育再生実行会議(座長=鎌田薫・早稲田大学総長)は31日、大学入試改革に関する提言をまとめ、安倍晋三首相に提出した。大学入試センター試験を改編し、成績を点数でなく上位から下位まで何段階かにランク分けして表示。複数回実施も検討する。その上で、意欲や潜在能力がある学生を迎え入れるため、面接などによる人物本位の選抜に転換するよう大学側に求める内容だ。
センター試験「一発勝負」から転換 大学の負担は増大
■高校在学中に「達成度テスト」
提言は、高校在学中に基本的な学力を測るテストを実施することも提示。これを「基礎」レベル、センター試験の改編版を「発展」レベルとし、合わせて「達成度テスト(仮称)」として一体運営するとしている。文部科学省は5〜6年後の実施を想定。今後、教育の専門家を集めた中央教育審議会(文科相の諮問機関)で具体的な制度設計を議論する。
成績のランク表示は、テストを合否の決定的な材料とせず、各大学を受験するための「基礎資格試験」化するという考え方に立っている。
提言は、「発展」テストに参加するかどうかは各大学の判断に委ねたが、個別に学力試験を実施する場合も「知識偏重にならないよう改善を図る」ことを求めている。面接などで丁寧な選抜を実施すれば人手やコストがかかるため、積極的な大学には国が財政支援することも明記している。
テストの複数回化は多大な労力がかかるため、提言は「検討」という表現にとどめた。文科省は今後、複数回化の可能性を探るため、マークシート方式を維持しつつ、6教科29科目に広がっている現在の出題体制の縮小を検討するとみられる。提言は、将来の課題として、会場のパソコン上で問題を解く「CBT式」や、論理力や分析力をみる総合的な問題を導入する案も示した。
高校在学中の「基礎」テストは、勉強離れの歯止め策の一つで、高校生が学習目標とし、指導効果を上げることを目指す。文科省は高1の必修内容を高2段階で実施することを念頭に置いている。参加は希望制で、在学中に再度受けることも可能とする方向だ。大学の一般入試の資料とはしないが、学力試験を課さないAO入試や推薦入試で、出願者の学力を把握する資料には使えるようにする。
教育再生実行会議は今年1月に設置され、今回はいじめ対策や教育委員会改革などに次ぐ第4次の提言となる。この日は、続く第5次のテーマである「6・3・3・4」の学制のあり方についても議論に入った。
センター試験を「一発勝負」ととらえてる時点でクソだな。あんな易しい試験はちゃんと勉強した者こそが当たり前のように高得点とれるわけで、一発勝負で馬鹿がたまたま高得点とれるような代物じゃない。9割とれたならそれは「馬鹿がたまたま」なんかじゃなくて、素質のある生徒がものすごく努力した結果なのである。それをなぜ評価しないのか。どうしてセンター試験の得点率全国1位の生徒氏名を発表して奨学金1000万円与えるなどの顕彰制度を与えないのかとオレは思うのである。
偏差値50以下の高校では、高校と称しながら中味は中学レベルの勉強をしている。その現実を考えた場合、現行のセンター試験は難しいということになり、さらにレベルの低い試験を実施して「基礎」段階の試験にしたいみたいだが、それなら「中卒認定試験」でも実施すればいい。それに合格しない者は永遠に高校に入学できなくすればいい。そんなことを言い出すと、高校進学率が9割を超えてる現状とあまりにもかけ離れた主張ということになってしまうのである。
高校生の学力低下という現実にただ迎合し、高校で中学の勉強をさせてることは間違ってるとオレは思っている。ある学校では難関大学受験のための勉強をさせているのに、ある学校では高校の英語の授業でbe動詞の使い方を教えているわけで、それはもはや高校と呼ぶに値しないのである。
高校在学中の基礎テストなんてわざわざ新たに導入しなくても、ベネッセのような民間業者が「スタディサポート」という名称ですでに行ってる。そうした試験を追認すれば十分だろう。受験生は自分が取ったその点数を使用すればいいのである。
「知識偏重」のどこがいけないのか。推薦入試やAO入試を増やし、受験生の青田買いを奨励してきた結果、大学入試がどれほどおかしくなってしまったのか、教育再生実行会議のお偉方はわかってるのだろうか。むしろ推薦入試の全廃によって「受験は年が明けてから」としてくれた方が高校は高校3年の2学期の授業もきちんとできるのである。一部の生徒は早々と9月にはもう進学先が決まってるなんてことがどれほど現場をやりにくくさせてるのかわかってるのか。多くの受験生全入状態の大学にとって、今の入試の問題点はむしろ「知識軽視」なのだ。成績なんか無関係で来たものはみんな受け入れてるのである。それを見て一部の難関大学でもなりふり構わず学生集めに走ってるのである。会議の座長である鎌田薫さんよ、あなたも早稲田大学総長ならば学生を増やすことよりも慶応に勝つことを考えろよ。現行入試制度のメリットを早稲田大学が享受してるのに、それを台無しにするようなこんなお馬鹿な改革案を出したらだめだろう。いったい何をかんがえてるんだ。
「意欲や潜在能力がある学生」ってどういうことだ。ろくに勉強もしないのに「ぼくはいつも120%の努力をします」と公言する馬鹿に「意欲」があるのか。何をモノサシにして「意欲」をはかるのか。そんなものは実際は計れないのである。意欲はあっても分数の計算もできない者と、意欲はたいしてないけど難関大学に入れるだけの学力がある者とを比較して前者を入学させればそれはむちゃくちゃだろう。意欲もまた「結果として学力をつけたかつけなかったか」でしか計れないのである。潜在能力なんて見えてないから「潜在」なのである。
ああっ、いらいらするぜ。いっそのことオレをメンバーに入れてくれ。あんたたち現場を知らない連中のその勘違いをことごとく論破してやるぜ。オレとディベートして勝てるような猛者が教育再生実行会議の中にいるとは思えないのだが。
←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館