2013年07月12日(金) |
入試科目は増やすべきである |
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5年後にセンター試験が廃止されるというニュースを聞いて、腹が立って仕方がないオレだ。どうして仕組みをいじるのか。そのルールの中でがんばってる受験生にとってこれほど腹立たしいことはないのである。
センター試験のように多くの科目の準備をしないといけないことが受験生の負担になってるというのなら、科目を減らせば良いのか。科目が少ないと楽だと考えてる受験生はとてつもない馬鹿である。多いから楽なのだ。多いからこそ、一つの科目の苦手を他の複数の科目でカバーできるのである。一科目なら太刀打ちできない天才相手に、多くの科目を時間をかけて努力することで戦えるのだ。受験生の努力を正当に反映するもっとも効果的な方法が「科目を増やす」ということである。そんなこともわかってない連中が、仕組みに関してケチをつけてああだこうだというのはけしからんとオレは思っている。
高知大学の医学部は二次試験に英語がない。このような科目設定にするとどういうことが起きるかというと、英語や数学を得意にする受験生が集まってレベルが上がるかというとそうではない。日本中から英語を苦手とする受験生が集まってくるのである。結果的に大学はたとえ数学や理科ができても中学生レベルの英語もできない困ったチャンまで合格させることになってしまう。そうやって科目を減らすことで受験生を集めようとするのは邪道であるとオレは言いたいのである。
かつて仏教大学が入試に英語を課さないで国語と社会だけで受験できるという方式で受験生を集めたことがあった。(今もやってるのかどうかは知らないが・・・)そこに大量の受験生が集まったのを知って、世の中に英語を苦手とする受験生がかくも多いのかとオレはあきれたのである。たかが大学受験の英語を克服できない受験生がかくも世の中には多いのである。
かつて理系の受験生は理科を二科目受験勉強するのが当たり前だった。関西の私大の中で関関同立はすべて理科二科目を課していた。そしてその滑り止めである近畿大学は一科目だった。ところがゼニ儲けに邁進する立命館大学が理科1科目にしたために多くの受験生を集め、その結果受験生を奪われた他の大学も雪崩を打つように科目を減らした。なんて馬鹿なことをするのかとオレはあきれたのである。学問レベルを維持することよりも、受験生を集めてゼニを儲けたいという選択をした大学をオレはクソだと思っている。オレが立命館大学という大学を心の中で認めていないのはそういう理由である。いくら小学校を作ってそこでいろんな新たな試みを実践しても、オレは昔のことを忘れていないのである。この大学が20年近く前に理系学部に「女子特別推薦」という方式を行って、昔のディスコが女性客の料金を割引して男の客も入るようにしたのと同じような卑怯な作戦を使ったこともちゃんと覚えている。
大学はいつから「受験生を集めるためには何でもあり!」になってしまったのか。オレはそうして入学試験というシステムがゆがめられ、受験生にとって正当な努力を反映しないいびつなものになってしまうことを憂うのである。多くの科目を課して、時間をかけて努力した者がちゃんと合格という結果に到達できるようにフェアな仕組みであってほしいと思うのである。
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