2013年03月06日(水) |
なんのための救急車なのか? |
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救急車を呼ぶのはどういう時か。ふつうに病院に行けるような時は呼ばない。「もうダメだ!」と思うから、緊急性があるから呼ぶのが普通の人の場合である。オレは何度か救急車で搬送されたことがあるが、処置が遅れていれば死んでいた可能性もあったのだ。だからこのような報道に接すると唖然とするのである。読売新聞の記事を引用しよう。
救急搬送36回断られ、3時間後に病院へ…死亡
埼玉県久喜市の一人暮らしの男性(75)が今年1月、「呼吸が苦しい」と119番したが、25病院から計36回にわたって受け入れを断られているうちに容体が悪化し、約3時間後にたどり着いた病院で死亡したことが市などへの取材で分かった。
市や久喜地区消防組合消防本部によると、男性は1月6日午後11時25分頃、119番した。駆け付けた救急隊員は県東部や南部、茨城県の病院に受け入れを要請したが、「専門医がおらず処置が難しい」「ベッドが満床」などの理由で断られ続けた。3回にわたって断られた病院も2か所あった。
当初、男性は意識があり会話ができたが、7日午前0時50分頃に意識がなくなった。救急隊員が心臓マッサージをしながら搬送先を探し、7日午前2時15分頃、いったん断った茨城県内の病院が受け入れたが、死亡が確認された。
(2013年3月5日20時15分 読売新聞)
検診を全く受けに来なかった妊婦が受診を拒否されるという事例はこれまでも起きている。その場合の危険はよく説明されているわけだし、オレにもある程度理解できる部分はある。しかし、病院や医療従事者のの使命は「人命を救うこと」にあるのではないのか。
かく言うオレも、救急車の中で救急隊員が電話で受け入れ先の病院と電話で交渉しているのを聞いていてイライラしたことがある。十二指腸潰瘍による大量下血や吐血で運ばれているオレを受け入れるには消化器の専門医と胃の内視鏡の設備が必要なんだが、その医師がいないとかいう理由で断られ、いろんな病院に電話をかけ直してるそのやりとりをオレはじっと聞きながら待っていた。そのために救急車はなかなか発車しなかった。その時にオレは「もしかしたら一分一秒を争うような緊急性の高い局面でもこんな悠長なやりとりがあるのだろうか」と思ったのである。
医師が恐れるのは医療過誤による事故、訴訟リスクである。救急車で運ばれる重篤な患者の中には本当に救命不可能な者もまじっているわけだ。しかしもしもミスがあって死なせてしまったりした場合、裁判を起こされて高額の賠償金を病院側が支払わされるというケースも起きている。その死の原因が不可抗力なのかミスなのか、素人にはわからないわけで、それゆえにかつては訴訟が起こせなかったのだが、最近はそうした訴訟を起こす遺族が増えてしまったのである。
救急車が救急車の用をなさなくなった今、国家として世界最高水準の医療レベルを持ちながらそれが有効に活かせずに死亡する多くの患者が出てしまうのはなんとも情けないことである。
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