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JR各社はこの3月で「周遊キップ」の販売を廃止するそうである。かつて学生の頃、旅行といえば「ワイド周遊券」を利用していたオレとしてはなんだか寂しいのである。北海道ワイド周遊券でオレはどれだけ遊んだだろうか。
20日間という長い有効期間をフルに活かして、オレは北海道を縦横無尽に駆けた。大学のサイクリング部にいたオレは、鉄道の機動力をフルに活かすためにワイド周遊券+自転車という旅の形を取ったのである。京都から特急「白鳥」で青森、そこから青函連絡船で函館に渡ってすぐに特急に乗り継いで札幌へ。「白鳥」の特急料金を安くするために新幹線との乗り継ぎ割引(新幹線と在来線の特急を乗り継いだら在来線の特急料金が半額になる)というのを利用して新大阪→京都間の使わない新幹線特急券と組み合わせて買うという裏技も用いた。札幌では女子大生のお姉さんとデートして一日遊んだ後、今度は稚内行きの夜行で北へ。稚内からは輪行袋から出した自転車を組み立ててフェリーで礼文島へ。島で桃岩荘ユースホステルに連泊したりして遊び、そこから稚内に戻って宗谷岬経由で浜頓別へ。しかしまたまた列車利用で旭川まで南下してそこから今度は層雲峡へ移動、というふうに自転車と鉄道をうまく組み合わせて旅のバリエーションを楽しんだのである。
北海道ワイド周遊券は冬季は2割引となる。実はこれは発売日基準で、冬用の割引のやつは5月31日まで売られていたので、5月31日に、一ヶ月先から有効の周遊券を買うと、あーらふしぎ7月なのに2割引の安い値段でワイド周遊券が使えたのである。それで7月の大学の授業をサボって早々と北海道に旅立つという強者もいた。
九州ワイド周遊券、信州ワイド周遊券も使いまくった。関西人はよく「もとを取る」という言い方をする。何度も何度も乗りまくり、途中下車しまくるということでいつもオレは確実に「もとを取って」いたのである。
いつから若者はそういう旅をしなくなったのだろうか。なぜ長期間の放浪の旅を若者はやめてしまったのか。もっとも時間のある老人もそういう旅はあまりしない。かくして若者の宿だったユースホステルはどんどんつぶれてしまい、安いペンションやホテルに泊まるようになって交流の場は失われ、旅先でのナンパという恋愛の機会も失われたことで少子化はさらに加速した。
28歳の時、オレは「ユーレイルパス」を持ってヨーロッパに旅立った。そこではかつての「ワイド周遊券」の世界がとってもビッグになって展開していた。オレは関西人らしく「もとを取る」ために乗りまくったのである。泊まるところがないと「とりあえず夜行列車で移動」というふうに動いたのだった。もしも大学生の頃にこんな世界を知っていれば、オレは迷わず海外に飛び出していただろう。しかし、そのときはすでに遅かったのである。その後オレは結婚して、新婚旅行以後、海外旅行は封印されたからである。
ワイド周遊券にはさまざまな思い出がある。たとえば有効期間の終わりが近づくと、早く帰る旅行者が持ってる有効期間の残った周遊券とのキップ交換という方法で期間を延長しようとする人がいた。そうやってさらに貧乏旅行を延長するわけである。早く帰るときはオレもキップの交換に応じてあげたこともある。そのやり方はなんらかの国鉄の利用ルールに抵触していたのかも知れないが、もう30年も前のことである。
周遊券、いや今の名称の周遊きっぷがなくなることで、オレがかつて楽しんだような旅の形態はもう死滅してしまうのだろう。計画を立てずに行き当たりばったりでハプニングを楽しんだかつての旅はもう今はない。思い出の中にしたそうした楽しみは存在しないのかも知れない。かつて沢木耕太郎の「深夜特急」に心を躍らせたオレは、旅そのものの手続きが大きく変わってしまった今、なんだか寂しさを感じてしまうのである。
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