2013年01月30日(水) |
塾や予備校にゼニを使うのをやめよう! |
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なぜ中学生や高校生は成績が下がると塾や予備校に行こうとするのだろうか。成績が下がった原因を今の自分の勉強スタイルからつきとめられないのだろうか。オレはそれが不思議なのである。中間試験や期末試験という学校の定期試験で点数がとれないのは、ふだんの授業で教えられる基本的なことを理解できていないからではないのか。それを「塾や予備校に行く」という方法では解消できないのに、なぜわざわざゼニを使って塾や予備校に行こうとするのだろうか。
塾や予備校に行けば、そこで何時間かを塾講師や予備校の教官から教えられることになる。2時間の講義を受けて、2時間分知らないことをたっぷり教えてもらえるならばその2時間分にゼニを払う価値はあるかも知れないが、逆に言えばそこで教えられることを自分が全然知らないことばかりだったとすればよほどの馬鹿であり、それ以前の学習に大きな問題があったということになる。普通の中学生高校生ならば、知ってることがある程度あって、その隙間を補完するような形で新たな知識を加えていくことになる。つまり、2時間の講義を受けたとしてもその中で新たな知識となるのはせいぜい2、3割と考えた方がいい。それならば、知ってることをもう一度聴く無駄な時間よりも、自学自習という形で知らないこと、苦手な分野に時間をかけた方がいい。
自学自習の教材は書店でいくらでも手に入れることができる。大きな書店の参考書や問題集のコーナーに行けば山のように多くの参考書や問題集がある。オレはよくそうしたものを立ち読みして研究するのだが、そこから教え方のヒントを得ることも多い。気に入ったものは自分でゼニを出して買う。それはよりよく教えるために必要な投資だと思うからである。
受験生にとってもっとも役立つものは何か。それは自分が過去に受けた模擬試験や定期試験の問題である。自分がどんな勘違いをしてどんな問題で間違えたのかを確認するだけで、多くの知識を手に入れることができるのになぜかそうしたことをおろそかにしていて、同じミスを永遠に繰り返す実に馬鹿が多い。オレは定期試験で一度出題したことを再度実力試験で出題することが多いのだが、前回と同じく間違う生徒が多いのである。そういう生徒に限って、悪い点数の答案をそのまま捨ててしまったりするのだ。逆に100点満点の答案になど保存する価値はない。ところがそういうものは記念にしまっておいたりするのである。オレは生徒が無造作に捨ててしまった答案用紙をゴミ箱から救い出して注意する。「ひとつでも間違えた箇所のある答案は自分にとっての戒めである。むやみに捨てるものではない。捨てて良いのは100点の答案だけだ!」
オレのところには生徒から「どうすれば成績が上がりますか?」という質問にメールが時々届く。そういう質問をする生徒は必ず成績のよくない生徒、つまりオレの授業をちゃんと活かしてない生徒である。しっかりと予習をして授業を聴き、オレが説明してることを理解できている生徒はそのような愚問を発する必要はないのである。オレの答えはいつも同じである。「ちゃんと授業を理解できるようになれ!」だ。
受験勉強というもの、入試対策というものに何か特別なものがあると思ってはいけない。世の中には神のような教師が居て、入試問題に出そうなところを次々と予言し、その教えを聞いていれば楽勝で難関校に合格できるという幻想を抱いている馬鹿が多く、勉強にはちょっとしたコツさえあればいいと安易に考えてるヤツが多いのだがそんなことは絶対にない。日々の小さな努力を積み重ね、ちょっとした時間を無駄にしないことを延々と続けることでやっと成果を得られるのである。
2ちゃんねるの学校板に行くと、どの高校の偏差値はどうだとか、どこの学校はもう終わったなどとくだらない中傷の書き込みが並ぶ。こんなくだらないことを書いてる時間があれば自分の勉強時間に使えよとオレは思うのだが、世の中にはそうして他をけなすことでしか自己を表現できないクソみたいなヤツもいるのである。大切なのは自分の通う学校がどんな偏差値であるかということではなくて、そこで自分が時間を無駄にせずにしっかりと勉強できているかということである。
たった1000円の参考書であっても、それをしっかりと自分で活用して知識を身につければ、それは予備校で何万円もゼニを払って講習を受ける以上の価値になる。何万円もゼニを払って講習を受けても漫然と聞き流して無意味に過ごしてる馬鹿も多い。何十万円も予備校にゼニを払って浪人しても、結局誰でも入れるFランク私大にしか合格しない受験生も多い。この世にはそうしてゼニを無駄にしている受験生がどれほど多いことか。オレはいつも嘆かわしく思っているのだ。
自力で勉強して学力を身につけることはゼニを稼ぐことと同じである。浪人すれば一年就職が遅れて収入を失うわけで、一浪すれば500万円くらい損してるのと同じである。高校生の多くが軽い気持ちで「一浪くらい普通だぜ」とほざいてるわけだが、500万円を無駄にできるのが普通の家庭の収入レベルだとオレは思わない。やはりそれはもったいないのである。だったらがんばって現役で志望校に入るのは500万円くらいの価値があるのだ。
東大や京大を目指すのならともかく、地方の国立大や関関同立程度ならば普通の受験生でも一年間死ぬ気で勉強すれば入れないこともないだろう。500万円を365日で割れば一日あたり1万円以上ということになる。5時間勉強して1万円もらえるのならばその学習の時給は2000円ということになる。勉強することにはそれくらいの金銭的な価値があり、それは自分で参考書や問題集と取り組んでこそ意味があるのだ。模擬試験を受けて120分間必死で数学の問題を解く苦しみを「オレは時給2000円でこの問題に立ち向かってるのだ!」と思えばいい。
入学試験までの時間は有限である。浪人すればするほどゼニは無駄になり頭は老化する。今を必死で活かすことしか受験生のとるべき道はない。日本は機会平等社会である。この大学受験というひとつのフィルターをどんなふうに通過するかで、将来のあらゆる可能性への道が広がっているのである。どんな貧しい家に生まれていても、どんなに性格や容姿に問題があっても、そんなものは「大学の入学試験」という紙の上での勝負には何の関係もないことである。その勝負から降りてしまった人間がシステムを批判する資格はない。「こんな試験で人生を決められたくない」とほざいてる馬鹿は、自らのこれまでの努力とはほど遠かったヘタレ人生を開き直ってるにすぎないのである。
今自分の成績が伸びないのならば、塾や予備校にゼニを使って解決しようと思うな。なぜできないのかを客観的に見つめることが先決である。まじめに授業を受けずに居眠りし、宿題もいい加減に済ませ、テレビのお笑い番組ばかり見て馬鹿を加速させたヘタレが「どうしたら成績が上がりますか」と質問するほど愚かなことはない。生まれたところからやりなおせ。もう一度精子に戻れよ馬鹿野郎とオレは言いたい。
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