2012年09月08日(土) |
秋の入浴の楽しみ |
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まだ日中は34度くらいになるのでクーラーをがんがん入れてるのだが、朝夕はめっきり涼しくなってきている。「夏もそろそろ終わりかな」と感じるのはそういう時である。秋を感じさせるものがもう一つある。それは入浴時に窓から聞こえる虫の声である。隣家との境のところにある植え込みに生息しているコオロギが鳴いているのだ。
風呂に入ってるとそのコオロギ
の鳴き声が心地よいBGMとして感じられる。そういえば昔我が家では大量の鈴虫を飼っていて、増えすぎた鈴虫をいろんなところに分けていたことを思い出す。その鈴虫も最後は庭に放されて野生化し、2・3年くらいは勝手に生きていたようだが今聞こえるのはコオロギの鳴き声だけである。そもそも今、鈴虫の野生種なんかはいるのだろうか。飼われてるというイメージしかないのでよくわからないのである。切ったナスを餌にしていて、しばらくするとナスが腐って汚くなっている。それを取り除いてまた新しいナスを入れると鈴虫が群がってきたことを思い出す。夜になると心地よい音色の鳴き声がして、その音を聴きながら眠った子どもの頃を思い出す。
虫の声は日本人にとっては「サウンド」なんだが、欧米人には「ノイズ」であると聞いたことがある。そもそも欧米人はそういう虫の音を愛するような習慣がないのだ。日本では平安時代に書かれた「堤中納言物語」の中に「虫愛づる姫君」が出てくるわけで、古来から虫を飼ったり育てたりして小さいものをいとしく感じ、かわいがる文化が存在したわけである。
それがいつのまにか、すべての「虫」を排除することが世の中の流れとなってしまった。ゴキブリが忌み嫌われるのはもっともだが、それ以外の家の中に生息するクモやダニ、ハエや蚊などももちろん一網打尽に絶滅させられる。ハエなんて子どもの頃はたくさん居たのだが、今はほとんど見かけないのである。ハエがたかってるようなゴミや動物の糞がそこらに落ちてないからである。蚊だけはしつこく生息しているが、これももしかしたらハエのようにいずれはいなくなってしまうのかも知れない。産卵できる水たまりなどがなくなっているからだ。
そう考えれば、コオロギが自然に生息している我が家の周辺の環境はまだ自然が残ってるというのか、昆虫にとって好ましいことであるのかも知れない。ただそれは自分がそう思っているだけであって、隣家ではそのコオロギの音をやかましく不快なものと感じてるのかも知れず、もしかしたら殺虫剤がまかれて一夜のうちに絶滅させられているかも知れないのである。
オレがこの日記に以前に書いた「大阪百年計画」を実行するならば、大阪のいたるところに森ができて、もちろんそこには自然の生き物が戻ってくるだろうから昆虫だけではなくて鳥や獣も生きることになる。リスやムササビ、モモンガやヤマネなんかも住み着くだろうか。そうした動物たちと人間は共存できるのだろうか。
ニホンカワウソが絶滅したというニュースがあったが、薩摩半島の西南端にある鹿児島県の坊津で子どもの頃を過ごした母は、近所の川にいつもカワウソが出没していたと言っていた。かつては日本中どこにでも居た生き物が、消滅するときは本当に一瞬なのである。ハエももしかしたら絶滅しそうなのかも知れない。
コオロギの鳴き声を楽しみながら、オレは風呂の中でこんなことを考えていたのだった。こうしてぬるま湯の中でのんびりしているのは至福の時間である。
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