2012年03月31日(土) |
田中光二さんの自殺未遂 |
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SF作家、田中光二さんのこんなニュースが飛び込んできた。
SF作家・田中光二さん自殺未遂か…親族墓前で
SF小説家の田中光二さん(71)が今月29日、東京都港区で自分の首などを切り、病院に搬送されていたことが関係者への取材でわかった。
命に別条はないという。警視庁赤坂署は、田中さんが自殺を図ったとみて調べている。
関係者によると、田中さんは、同区内の親族の墓の前で、刃物で首や手首を切って倒れているのを通行人に発見されたという。
田中さんは1972年にデビュー。80年に「黄金の罠(わな)」で吉川英治文学新人賞を受賞。88〜91年に日本SF作家クラブ会長を務めた。
(2012年3月30日20時29分 読売新聞)
親族の墓前で自殺をはかったというこの記事を読んでオレがすぐに思ったのは、彼の父である田中英光のことである。ロサンゼルス五輪の漕艇の選手として渡米し、その体験を書いた小説 「オリンポスの果実」は戦前に書かれた青春小説の中でも特にオレの心に響いた作品だった。
この作品は小説の形をとった一人の女性への恋文である。全編通じて自分の思いをただ伝える内容となっているのだ。この「オリンポスの果実」という小説が発表されたのは昭和15年である。日中戦争が泥沼化して、やがて日本が戦争に突入していくというあの暗い世相の中で、こんな爽やかな青春文学が存在したというのは稀有のことである。ひたすら自分の片思いをつづったその小説のラストはこんな一節でしめくくられる。
「あなたは、いったい、ぼくが好きだったのでしょうか。」
なんとも甘い、思わず「キャハッ」とか言ってページを閉じたくなる、そんな甘酸っぱい爽やかな作品なのである。
その後太宰治に弟子入りした田中英光は、師匠同様に無頼派の作家として振る舞い、家を出て愛人と同棲した。昭和23年6月の太宰治の自殺に衝撃を受け精神に異常をきたしたのか、薬物中毒に陥り、昭和24年5月、同棲相手をその薬物中毒による妄想のため刺すという事件を起こしている。その年の11月3日、 禅林寺の太宰治の墓前にて、睡眠薬服用の上、手首を切って自殺したのである。
因果は巡るのだろうか。自分の父が太宰の墓前で自殺したことをその息子である光二さんはどのように受け止めていたのだろうか。なぜ墓前で同じように手首を切って死のうとしたのか。
オレはSF小説が好きなのでもちろん田中光二さんの昔のSFはいくつか読んだことはあったが、ごく最近の田中光二さんの作品は読んでいないので近況なども知らなかった。今回のニュースで突然あれこれと思い出したのである。
幸い傷は浅くて命に別状はないという。自殺を決心するに至るまでにどんな葛藤があったのだろうか。今は一日も早く回復されることを祈っている。
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