2011年10月23日(日) |
武器よさらば、地には平和を |
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リビアの独裁者であったカダフィが殺されて内戦が終結した。これでリビアに平和がやってくるかというと決してそうではない。リビア国内には大量の武器が存在し、その武器で戦闘に参加した市民がいる。彼らからまずその武器を取り上げないといけない。いわゆる「刀狩り」の必要である。そうでないとそれらの武器は今度は犯罪に使われて治安を悪化させるからだ。しかし、持ってる武器を「放棄しろ」と命令してもリビア国民は容易に応じるのだろうか。
オレはここで武器の「買い取り」ではなくて「交換」制度を提案したい。市民が武器を持参すればそれと交換に任天堂の3DSやソニーのPSPがもらえるようにすればどうか。これから市民にとって必要なのは娯楽である。物騒な武器を放棄してもらってそのかわりにゲームを与えるのだ。もちろん武器の価値に比較してゲーム機が安すぎるという批判もあるだろう。その場合はオマケにゲームソフトも付ければいいと思うのである。
その費用は任天堂やソニーが負担するのではない。任天堂やソニーは武器を引き取った後にそれらの武器の生産国に対して買い取りを請求し、代金を回収するようにすればいいのである。
オレが許せないのは武器を作って売った国の連中だ。イタリアなどは地雷を大量に生産している国である。それによって利益を得ていながら、カンボジアなどで必要な地雷除去作業に対してゼニを出すわけでもない。日本はそうしたクソみたいな国に対してもっと批判的でいてもよいと思うのである。世界最大の武器生産国であるアメリカにもその武器を売ったことの責任をとらせよう。武器の価格はいつもぼったくりである。そのぼったくり価格でもうけた分をはき出させ、今度はリビア復興のために使えるようにするのがオレの主張する「正義」である。
大手新聞の一面には血まみれのカダフィの写真が出た。オレはその写真を見て違和感を感じたのである。それがいかに報道価値のあるものとはいえ、新聞の一面にそのような残虐な写真を載せていいのか。新聞だけではなくて天下のNHKはその写真をテレビで全国に放映したという。それに対してもオレは違和感を感じるのだ。
カダフィは生きたまま捉えられて裁判にかけられるべきであった。そして彼の起こした数々の住民への弾圧や虐殺について明らかにし、彼が自己の罪状を認識した上で改めて処刑されるべきであった。これはルーマニアの大統領であったチャウシェスクが殺された時に感じたことと同じである。暴走する市民や兵士はその熱狂の果てにカダフィを殺した。戦争という状況下ではそれは仕方のないことだったのかも知れない。目の前に多くの人々のとって仇敵であるカダフィが存在したら迷わず引き金を引くというのがリビアの一般市民の正当な反応かも知れない。しかし、そこで「殺さない」という選択もあったはずだ。もしかしたらフセインやビン・ラディンを殺したことと同じく、アメリカのなんらかの意向が働いていたのかも知れない。カダフィの最後の言葉は「撃つな」だったという。独裁者は最後の最後に命乞いをした。彼の「撃つな」の後にどんな言い訳が存在したのか。オレはそれを知りたかったのである。
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