2011年06月27日(月) |
「私は医者です!」と人命救助した女医さん |
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急病人を抱えて家族が狼狽している時に突然現れた人が「私は医者です!」と叫んで適切な処置をしてくれるというのは医療もののドラマのような展開である。千葉県でそんな出来事があった。読売新聞の記事を引用しよう。
「ドラマのように」医師現れ、心肺停止女性救う
千葉県野田市内の病院に勤務する女性医師が23日、当直明けに乗用車で走行中、別の車の中で心肺停止状態となった高齢女性に心臓マッサージを施すなどして蘇生させた。
助けたのは、東京電力福島第一原子力発電所事故で福島市から野田市に避難していた女性だった。
この女医は野田市中戸の東葛飾病院に勤務する内科医半谷(はんがい)京子さん(43)。救助されたのは、会社役員佐藤裕子さん(58)(野田市関宿)の母親で、4月末から佐藤さん方に身を寄せている福島市の斎藤ユキさん(83)。
半谷さんは22日夜からの当直勤務が明けた23日午前8時半頃、朝食を取るため、茨城県境に近い路上で車を走らせていた。交差点に差し掛かったところ、右折車線でハザードランプを点滅させた車を発見。車内をのぞくと、佐藤さんが、後部座席の斎藤さんの心臓マッサージをしていた。
半谷さんは「私は医者です」と声を掛け、佐藤さんに代わって5分間、人工呼吸と心臓マッサージを続けると、斎藤さんは目をゆっくりと開け、息を吹き返した。半谷さんは10分後に到着した救急車に同乗し、搬送先の病院まで付き添った。
佐藤さんによると、斎藤さんが22日に「胸が苦しい」と訴えたため、23日に斎藤さんを車に乗せ、病院に向かう途中、発作が起き、呼吸が止まり、けいれんを始めた。車を止め、心臓マッサージをしても意識は戻らない。「もうだめか」と思った時に、「まるでテレビドラマのように」半谷さんが現れたという。
斎藤さんは入院中だが、順調に回復しているといい、佐藤さんは「何とお礼をしていいか」と感謝している。半谷さんは「医者としてではなく、一人の人間の本能として、自然に体が動いていた。命が助かって良かった」と、ほっとしていた。
(2011年6月26日13時27分 読売新聞)
この記事の中にあった「医者としてではなく、一人の人間の本能として、自然に体が動いていた。命が助かって良かった」という部分にオレは心を打たれた。なんてカッコいいセリフだろうか。人命救助という崇高な行為に対して、「一人の人間の本能」であるとさりげなく言ってのける。これこそが真の医師である。オレはそれを確信した。
オレの勤務する私立の進学校にはたくさんの「医学部志願者」たちがいる。そして毎年多くの卒業生が医学部へと進学していく。今オレが教えている生徒たちにも「医学部志願者」はとても多い。彼らは自分のその志望動機をどんなふうに考えてるのだろうか。
受験生の頃のオレは医学部を目指していた時期があった。その志望動機というのはきわめて不純であり、医師になればゼニがもうかるということが大きく、崇高な理想も献身的な動機もなかった。医師になるのに必要なのは医学部に入れる偏差値だけだと思っていた。オレがそのままもしも医学部を受験していれば、おそらく一人の悪徳医師が誕生していただろう。
しかし不真面目なオレはそんな自分に似合った人生を選択して医学部ではなく文学部というヤクザな道に進み、結果として医師にはならなかったが奇しくも教師として大勢の教え子を医学部へと送り出すこととなった。自分が医師になる代わりに大勢の若者を将来の医師として育てる立場となったのである。これまでにオレが少しでも教室で教えたことのある生徒で医学部に入学した者は百名を軽く越えるだろう。
医師になった卒業生の中には今でも頻繁にメールをやりとりする友人となった方もいる。週末に一緒にお好み焼きを食べている時も彼は病院からの連絡があればいつでも駆けつけられるようにしている。いつ自分の担当する患者の様態が急変するかわからないからである。そうして24時間、家で寝ているときも常に臨戦態勢でいないといけないという厳しい毎日なのが医師という職業なのだ。ああ、オレのような不真面目な人間にはとうてい務まらなかっただろう。神様はちゃんとそれをお見通しだったのだ。だからオレが医学部を受験しないという方向に導いてくださったのだ。
現役の医師として、あるいは看護師や検査技師、薬剤師などのさまざまな職種で医療に関わって現場で戦ってる方々は日々どれほどの激務に耐えて忙しく過ごしているのだろうか。あなたたちの努力や苦労が正当に評価される世の中になるようにオレはいつも願っているのである。
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