2011年05月04日(水) |
阪神タイガース、1985年の再来なるか? |
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1985年に阪神タイガースが日本一になってからもうすぐ26年である。あの日本一が遠い昔のことのように思える。関西の阪神ファンの間では「タイガースの優勝を3度見たものは死ぬ」という戯れ言が言われてきた。それは阪神が30年に一度くらいしか優勝しないので、生涯に2回くらいしか優勝を体験できないことから言われてきたのである。しかし、近年の阪神タイガースは2003年、2005年と2度もリーグ優勝して阪神ファンを驚かせた。物心ついてから3度、オレは優勝を目撃したことになる。つまり、明日死んでもおかしくないわけだ。(まだ死にたくはないが・・・)
ただ、2003年はソフトバンク、2005年はロッテに阻まれていずれも日本一を逃してきた。ファンが思い出すのはやはり常勝西武ライオンズを倒して日本一になった1985年のタイガースの強さであり、あのシーズンを象徴する4月17日巨人戦でのバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発である。3者連続ホームランはその後何度か記録されているが、3、4、5番の連続ホームランというのは1985年以来なかった。それが昨日の東京ドーム、デーゲームの巨人戦で出たのである。毎日新聞の記事を引用しよう。
阪神:3連発に真弓監督「あの日思い出した」
○阪神7−3巨人●(3日)
これは吉兆か。ここまで16試合で計8本塁打と春眠をむさぼっていた阪神打線が突然目覚め、日本一になった85年以来となる、クリーンアップの3者連続本塁打で宿敵・巨人を粉砕した。
二回に43歳の金本がセ・リーグ最年長本塁打となる1号ソロを放って、「平成のダイナマイト打線」の導火線に火がついた。
三回2死一塁から、まずは3番・鳥谷。ほぼ真ん中の直球を振り抜くと、鋭いライナーが右翼スタンドへ飛び込んだ。さらに4番・新井貴は3試合連続となる4号を左中間席へ打ち込み、続いた。
締めはブラゼルだ。昨季47発の大砲が今季は、ここまで本塁打ゼロ。「前の2人が打ち、打席に入るのが嫌な感じだった」と弱気になりかけたが、「自分のスイングをする」と気持ちを切り替え、5球目に真ん中に入ってきた甘いスライダーを右翼席へ。「ホッとした。本塁打が出なくて自分にプレッシャーをかけていたが、これで楽しんでプレーできる」と喜んだ。
阪神の3者連続本塁打は昨年8月の広島戦以来9度目だが、3、4、5番によるものは85年4月17日の巨人戦(甲子園)で、バース、掛布、岡田が放った「バックスクリーン3連発」以来。その時の相手投手は、当時背番号54で後に東野と同じ「17」を背負った槙原だ。
あの歴史に残る試合で1番打者を務めていた真弓監督は「ちょっと思い出した」とほほえみ、「これをきっかけにどんどん打ってほしい」。
3連発だけでなく、日本一も26年ぶりに再現できるか。【立松敏幸】
真弓監督は1985年のシーズンの時の1番打者だった。あの象徴的な試合がその後の阪神タイガースに勢いを付けたことは間違いない。今季の阪神は主力選手の不振による貧打にあえいできた。しかし、もしかしたらこの試合をきっかけにムードががらりと変わるかも知れない。野球とはそういうものである。オレはそれを期待してしまうのだ。
シーズン前の予想に反してヤクルトが好調に飛び出した。新加入のバレンティンがホームランを量産している。プロ野球界のお約束で来季は衰えたラミレスに代わって巨人の4番におさまってるかも知れない。
震災の影響で開幕の遅れたプロ野球だが、GWはどの球場もかなりの観客動員を記録しているという。自粛ムードで海外旅行者は激減し、国内も宿泊客の減少が心配されたこのGWだが、ぎりぎりになってもまだ空き室があるということで逆にネット予約してあわてて旅に出る方も多いらしい。被災地の復興にはまだまだ長い時間が掛かるが、我々が日常の経済活動を取り戻すことで日本には活気が生まれ、復興を支援する余裕もまた生まれるのである。
今季阪神タイガースが優勝して、パリーグを制した楽天と仙台で日本シリーズを行えることをオレは夢見ている。楽天がリーグ優勝すれば被災地の方々を勇気づけることができるだろう。ただ、日本一になるのはタイガースだ。そこまで譲る気持ちはオレにはないのである。
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