2011年03月14日(月) |
津波に耐えられる街は建設可能なのか? |
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どうすれば津波から街を守ることができるのか?オレは今回の東北太平洋沖地震を伝える映像を見ながらその方法を考えていた。たとえば海に面した部分に高さ20mほどの巨大な壁状のコンクリート構造物を建設して、そこをそのまま居住のためにも使用するというのはどうか。堤防と一体化した共同住宅を建設してしまうのである。三陸海岸は日本でもっとも津波による被害の多い場所である。そんな案も検討の余地があるのではないか。街を要塞化してしまうのである。大津波が来ることを前提にして、それに耐えられるような半地下式の要塞都市にはできないものだろうか。それが200〜300年に一度のものならばそこまでコストをかける意味がないということになるのだろうか。
もっと小さな津波なら防潮堤で防げたのだが、10mもの高さの津波は想定していなかった・・・ということなら、それ以上の高さの防潮堤を築いたらそれで街は守れるのか。今回のように過去に例を見ないような巨大な津波が押し寄せれば「想定外の規模だった」ということになるわけだが、だったら今回の津波を基準にして防災計画を練り直せばいいのではないか。
今回、津波に巻き込まれずに助かった人たちというのは、地震発生直後に取るものも取りあえず安全な場所に避難した方々であり、行方不明になっているのは逃げ遅れた子どもや老人、そして心配になって家に戻った人たちである。身一つで一刻も早く逃げろということなのだろうか。その避難路を整備して、誰もが家から最短距離で高台に逃げ切れるように都市計画を考えるべきだろう。もっとも今回の地震と津波で街はどこも完全に壊滅しているから、街作りは白紙の状態からデザインし直すということになる。
阪神大震災の時、被災した長田地区の区画整理の買収価格が実勢価格を無視した高値だったために、古くからの住人の多くがその場所での生活再建を選ばず、土地を手放してゼニを手に入れて街を去った。まるで神戸市が地上げをしたような形になったのだ。その教訓がある以上。街作りよりも生活再建を優先すべきであり。住民がゼニに目がくらんで喜んで街を捨ててしまうような方法をとるべきではない。
今回被災した三陸沿岸は「世界3大漁場」と呼ばれる豊かな海である。そこで操業する漁船の基地となる無数の小さな漁港ががほぼ壊滅してしまったのだ。養殖のための施設も跡形もなく破壊された。たとえ住宅が再建されて住み慣れた街に戻ってきても、そこには働く場所がないということなら困るのだ。国は全力を挙げて住民の生活再建と産業復興を同時に進めないといけないのである。今はそのための財政出動を思い切って行うべきだ。港の復興、破壊された漁船の修理や購入費にどんどん補助を行うべきである。
被災した住民たちの中には「もうこの街には住みたくない」と思う人もかなり出るだろう。一気に過疎化が進んでしまうことも考えられる。そんな事態を招かないようにするにはどうすればいいのか。今一番先に復旧させないといけないのは鉄道である。三陸縦貫鉄道は甚大な被害を受けているはずだ。しかし、三陸海岸沿岸部の住民の多くが津波でクルマを失った今、道路の復興よりも鉄道の復興の方が人々にとってありがたいはずである。一刻も早く鉄道を復旧させ、そして救援のための物資も人もどんどん運べるようにしないといけない。たとえ復旧に多大な費用がかかり、費用対効果の点で引き合わないとしても、国が支援すべきである。3セクの三陸鉄道が自力再建することはほとんど不可能だ。
テレビでは何度も上空から撮られた街の映像が流れている。ヘリが飛んでいるその下には、すべてを失って避難所で飢えと寒さに苦しむ人々が居るというのにどうして「取材」しかできないのか。ヘリに積めるだけでいいから何か食糧や救援用の物資を投下してやれよとオレは腹が立ったのである。こんな非常時でありながら、暴動や略奪が起きることもなく、避難した人々は静かに救援を待っている。日本はやはり道徳の国なんだとオレは少し安心したのである。
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