2011年02月17日(木) |
大学の志望動機をふまじめに考えてみる |
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私の知人の女性に、テレビのクイズ番組に出ていた男性に一目惚れして、その男性が所属する大学のサークルに入りたいためにその大学を受験して見事に合格したという方がいる。好きな男性にアタックするために・・・という気持ちが受験勉強の動機につながったわけだが、オレはそういうものは不純でも何でもなく、とても純粋で若者らしい行動だと思うのである。逆に今の若者が大学選びに明確な基準や動機を持ってないことを危惧するのだ。もっとちゃんと大学を選んで欲しいのである。
オレにはちゃんとした明確な大学選びの理由があった。18歳にして人生を捨て、放蕩無頼の生き方を選択しようと思っていたオレは、もっともそれにふさわしい、日本一おかしな連中が集まってる大学である「京都大学」の、しかももっとも就職からは遠い、人生を捨てたような連中の集まっている世界である「文学部」を選ぶ必要があったのだ。だから京都大学文学部を選んだのは正しかったと思っている、もっともその後に教員という世間では「まとも」と思われている仕事に就くなんてことは全く予想していなかったのだが。
今、受験生の進路指導をしていて思うのは、彼らの大学選びの基準が偏差値しかないことなんだ。そんなことでいいのかと思うのである。偏差値65の生徒は、たとえ魅力的であっても偏差値60の大学を選ばない。つまり、行きたい大学 = 自分の偏差値で行ける範囲の中でもっともレベルの高い大学 となってしまっているのだ。嘆かわしい話である。もっとむちゃくちゃな理由で大学を選んでもいいじゃないかとオレは思うのだ。
たとえば今ここにものすごくうどんの好きな少女がいるとする。彼女は3食全部うどんでもOKというほどうどんが好きで、市販されているものでは飽きたらずに自分で麺を打ってうどんを作ってしまうような日常を過ごしている。そんな彼女が「本場でうどん作りの修行をしつつ勉学にも励みたい」と香川大学を志望するとしたら、それはすばらしいことだと思うのである。
海が好きで毎日潜って遊びたいし、海洋生物の研究がしたいということなら、琉球大学理学部に進めばいいのである。どうしても有機ELの研究がしたいのなら、日本で唯一の学科である山形大学の有機デバイス工学科に進んで城戸教授の教えを受けつつ、おいしい米沢牛を食いまくればいいのである。たこ焼きが好きだから大阪の大学ならどこでもいいというのもいいじゃないか。スキーやスノボが好きだから北海道の大学に進学するというのもいいじゃないか。そういう「好きなことをガンガンやるために」という志望動機をみんなに持って欲しいのである。
明太子が好きだから福岡に来たかったとか、納豆が好きだから水戸に来たかったとか、餃子が好きだから宇都宮や浜松に来たかったとか、そんな食い意地の張った理由でも別にいいじゃないか。ただ、こういうのはどうかとも思うのである。「長崎が好きだから長崎大学を受けます」とか「松江が好きだから島根大学を受けます」とか「金沢が好きだか金沢大学を受けます」とか。確かに長崎や松江や金沢というのは素敵な街である。しかし、それを理由のど真ん中に持ってこられるとなんだか困ってしまうのである。長崎が好きなのはわかった、でも君にとってその長崎はどういう関わりがあるんだと質問したくなるのである。ただ、地方の歴史と文化のある街で下宿生活を送るということは大学の4年間の中でよい経験になると思うのである。(ただ、最近は大学が郊外に移転することも増えてるので、決して街の中で暮らせるわけでもないのだが)
「どうして京都大学を選んだのですか?」と質問され「舞妓さんが好きだからです」と答えるヤツがいれば「ふざけるな!」と成績の悪い生徒たちから反発を喰らうだろう。しかしオレは一人ぐらいそういうふざけたヤツがいてもいいかなとも思うのである。
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