2010年12月08日(水) |
日本は武器輸出なんかしなくていい |
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金儲けのためには武器でも何でも作って輸出したいというのが経済界の要望らしい。それをなんとか実現させようとして菅直人は社民党の福島代表に働きかけていて、福島代表は逆にそれを許さないことで政権に参加してるということを再確認したいようである。オレは武器なんか輸出しなくてもいいと思っている。そんなものしか作れない情けない国と日本は違うのだ。日本には売るべき製品がたくさんある。どうしてわざわざ人殺しの道具を作って売る必要があるのか。そんなものは野蛮な西欧の国々に作らせればいいのだ。日本には世界中の子どもに愛される任天堂のゲーム機もあれば、世界の若者を虜にするアニメなどのオタク文化もある。そうして娯楽を輸出することで世界の人々に争うことのむなしさを伝えるのが日本人の使命じゃないのか。
オレは日本人というのは世界で一番命の尊さを知る稀有な民族だという誇りを持っている。命の尊さを知るからこそ、その命を奪うような犯罪は自分の命でしか償えないと思うのだ。だから死刑は必要なのだというのがオレの主張である。
西欧のヒューマニズムなんてものをオレは信じない。対人地雷やクラスター爆弾を大量生産し、それによって多くの人が傷つくことに対して無頓着な連中が「命の尊さ」を説くなんて矛盾は実に恥ずかしいことではないか。イルカを殺すなとか、クジラを殺すなとか言いながら人を殺すことに対して、西欧の連中は実に寛容だ。きっと連中にとっては人命よりもクジラやイルカの命の方が重いのだろう。だからアフガニスタンで毎日のように誤爆という形で市民が殺されても、カンボジアで地雷によって多くの人が手足を失っていても平気なのである。無辜の民の命が失われることなどなんとも思っていないからだ。だからこそオレは訴えたいのだ。「殺すな!」ということを。
アメリカの侵略戦争に手を貸す必要などない。後方支援も行わなくていい。日本は「他国の戦争に介入や協力しない。武器も売らない。戦争が終わったら復興のためにゼニや人を出す」というのを貫いて欲しいのである。日本はそういう形での国際貢献しか行わないということを国是にするのだ。
ドイツはユダヤ人に対する民族大虐殺を行った。アメリカは広島・長崎の市民の上に原爆を落とし、多くの人々を実に残虐な形で殺した。これはまぎれもない歴史的事実である。彼らは日本を同じ虐殺仲間にするために南京虐殺を同じレベルに引き上げる必要があった。30万人の死者というのは当時の南京市民の人口を上回るわけだが、広島・長崎の犠牲者の合計と近づける意図でその数字が誇張されたのではないかとオレは最近思うようになったのだ。
日本は武士道という価値観があった。武士道精神の中でもっとも恥ずべきことは「卑怯」な行為である。対人地雷やクラスター爆弾というのは兵器の中でももっとも「卑怯」な存在である。それらの武器を我々日本人が嫌悪するのは、日本人の心の中でまだ武士道は生きているからだ。オレが「いじめ」を許せないのは、それがもっとも卑怯な行為であると思うからだ。
「日本は死刑を止めないから野蛮な国だ」という主張は、「死刑を廃止したオレたちは野蛮じゃない」と言いたいからなされたのである。それを根拠に今も戦争を継続して多くの市民を殺している国こそがもっとも野蛮な国家であるとオレは認定する。アメリカの戦争を全面的に肯定してる国々はみんな野蛮でみっともない存在だ。オレは日本だけはそんな情けない仲間に入って欲しくはないのだ。武器を作って輸出するということは、その情けない連中の一員として認めてもらうための踏み絵みたいなものである。それが「踏み絵」であることに全く気がついてないお目出度い馬鹿が菅直人首相である。ああ、どうしてそのことに気がつかないのか。
日本は孤高の存在であるべきだ。平和に対しての高い理想を掲げ、そのために努力する世界で唯一の国家であることを宣言すべきだ。日本の自衛隊は世界の平和を脅かす悪に対してこそ行使されるべきものであり、米軍の下働きをするために存在するのではない。それを国際会議の場に於いて語ることが、日本の総理大臣の責務であるとオレは思うのである。
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