2010年11月05日(金) |
誰が少女を殺したか〜集団の悪意について |
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いじめはどこの世界にもある。そしていじめを行ってる側(加害者側)には罪の意識は希薄である。それが自分たちにとっての日常だからだ。しかし、そのいじめを受ける側の心の痛みは常に大きい。まだ小学6年生の少女にとって、みんなから無視され続けるいじめはどれほど耐え難かったことだろうか。友達を求め続けた彼女の願いは届かず、誰も彼女を守ってやることはできなかった。もしも自分が小学生で同じクラスなら彼女を救えただろうか。もしも自分がその担任教師なら救えただろうか。もしも彼女が自分の娘ならばその苦悩を理解できただろうか。このような痛ましい時間が起きるごとにオレは自問自答するのである。
毎日新聞に詳細な記事が掲載されていたので引用したい。
群馬・小6自殺:願いは「学校消す」 学級崩壊、孤立深め
群馬県桐生市の市立新里東小6年、上村明子さん(12)が自宅で首つり自殺をしてから間もなく2週間。「臭い、あっち行け」。一部の同級生からそんな言葉を投げつけられていた彼女は、6年の2学期になると給食も独りで食べるようになっていた。担任がほかの児童に決められた席で食べるよう指導しても状況は変わらなかったという。両親や学校関係者の説明を基に過程を振り返ると「学級崩壊」の中で孤立を深めていった彼女の姿が浮かぶ。【喜屋武真之介、塩田彩、鈴木敦子、角田直哉】
明子さんの家族は派遣社員の父竜二さん(50)と母(41)、小4の妹(10)。家族によると、父親の仕事の都合で転居を重ね、08年10月に愛知県から新里東小に転校した。4校目の小学校だった。
■ ■
09年4月 5年生に進級。父親によると、フィリピン出身の母が授業参観に訪れてから一部の同級生に容姿の悪口を言われるようになった。
今年4月 6年生に進級。「臭い」「風呂に入っているのか」などと言われるようになり、両親に「どんなに遠い学校でも歩いて行く」と転校を訴えるようになった。両親は学校側にたびたび相談し、中学進学を機に引っ越すことも考えていた。
9月18日 運動会。以後、明子さんのクラス(児童数39人)では授業中に児童がふざけたり、私語にふけるようになった。
同28日 担任(40代の女性教諭)は席の間隔を広げれば私語などがやむと考え、縦8列の席を6列に減らした。しかし児童たちは給食時、給食の班(5人程度)ではなく、席を移動して友達同士で食べるようになり、明子さんは孤立した。
10月14日 担任は校長らに相談の上、再び席替えを実施。給食の班替えも行った。
同18日 再び明子さんが給食で孤立するようになった。
母親によると、勇気を出してクラスメートに「一緒に食べよう」と頼んだことがあったが「また、今度ね」と断られたという。
同19日 明子さんが学校を欠席。
同20日 再び欠席。担任が「あすは社会科見学があるから、出てくれるかな」と電話をする。
同21日 社会科見学に出席した明子さんは一部の同級生から「なんでこういう時だけ来るの」「普段はずる休み?」などと言われ、泣きながら帰宅。
同22日 再び学校を欠席。学校側はこの日、給食の班を廃止。全員を黒板に向かって食べさせた。夜、担任が上村さん宅に報告に行ったが、共働きの両親は留守で、インターホンの呼び出しに返事はなかった。
同23日 明子さんは午前9時ごろ起床、朝食を食べた。正午ごろ、母が部屋をのぞくと、母のために編んでいたマフラーをカーテンレールにかけ、首をつっていた。
■ ■
明子さんの遺書は見つかっていない。しかし10月26日の告別式後、自殺直前に描かれたとみられる漫画が自宅で見つかった。タイトルは「やっぱり『友達』っていいな!」。同29日に見つかった愛知の元同級生にあてた手紙には「中学になったら大阪に行くんだ。だから愛知県を通るかもしれない。できたら会いに行くね!」とつづられていた。
一方、自室に残されていた5年の林間学校時の集合写真には、同級生15人の顔にボールペンの先のようなもので「×」印がつけられていた。「もしもひとつだけ願いがかなうなら?」との質問が書かれた市販のプロフィル帳には「学校を消す」と書かれていた。
明子さんの小学校は学区内に農村と新興住宅地が混在する。6年生は2クラスだけで、児童の一人は「上村さんをいじめるグループがあった。上村さんは『ちょっとどいて』『あっち行って』と言われ、悲しそうな顔をしていた。注意する人はいなかった」。別の児童はこうも言う。
「いじめの中心になる子が何人かいて、ほかの子は何をされるか分からないから逆らえない。クラスはバラバラで学級崩壊みたいな感じだった」
明子さんへのいじめが自殺の引き金になったことは間違いない。両親はそうした決着を望んでいないかも知れないが、ここではやはり裁判を起こして、加害者側の子どもに対して責任を取らせるべきだと思うのである。少なくともボールペンの先で×印のついている者すべてに対して損害賠償させることが、このようないじめ事件の悲劇を起こさないためにも必要なのではないかとオレは思うのだ。
母親がフィリピン出身であることを明子さんはどのように受け止めていたのだろうか。彼女がもっと大人になっていれば、そして周囲がちゃんと守ってやることができていれば、自分の出自にしっかりと誇りを持って生きることができただろう。しかし、その機会は永久に失われた。「お母さんのせいでいじめられるのよ!」といった感情はもしかしたらあったのかも知れない。しかし、大好きな母にそんな気持ちをぶつけたとして、自分の大好きなものの存在を自分からどうして否定できるだろうか。
子どもの狭い世界の中では友人関係というのは世界のすべてである。教室に自分の居場所がないということは、自分が全世界から拒絶されているようなものである。それがどれほどのストレスであるかを大人は想像することさえできないのだ。子どもは大人が想像するよりももっと複雑でいろんなことを考えている。父親の都合で4度も転校しなければなかった明子さんは、そのたびにせっかくできた友人から切り離されてしまう。新しい環境で新しい仲間をもう一度作り直さないといけない。しかし、今度自分がやってきた桐生市の小学校は自分を受け入れてくれない冷たい集団だった。中学生になれば別の学校に行けるはずだった。しかし、卒業までのあとわずか数ヶ月をがんばって耐えていく気力はもう明子さんには残されていなかった。
教室内にきちっと秩序が維持されていれば、教師からの指導も一定の効果を上げるだろう。しかし学級崩壊していればそんなことは不可能だ。無秩序になった世界で児童たちは自分で自分の身を守るしかない。今回の事件もそうした無秩序な世界で起きたのである。その世界ではいじめの加害者たちが絶対権力であり、教師はその権力者の存在に気づきながらその支配を排除できなかったのだ。
彼女はもう休みたかったのだ。自分の存在をひっそりと消し去ることで、自分の抱えた悲しみもつらさもすべて消し去りたかった。これまでがんばってそのいじめの中で生きてきた気力が、ある日すーっと消えてしまって、がんばって生きていこうという気持ちがどこかに逃げていって、いっそもう楽になろうと思ったのかも知れない。
今もいじめを受けている子どもたちはその日々をどのように受け止めているのだろう。自分が受けている苦しみからどうすれば逃れられるのか、それを可能にできるのは誰なのか。学校に乗り込んでいじめっ子をぶん殴ってくれる親もいなければ、カラダを張っていじめを阻止してくれる教師もなく、自分も一緒にいじめられるのを覚悟して守ってくれる級友もいない。いじめを受けている多くの子どもたちはそうした八方ふさがりの中で日々を耐えているのだ。周囲の大人たちがその存在に気づくためには、ただアンテナを敏感にするしかないのだ。
小学校から泣きながら帰る子どもを見かければ、どうかやさしい言葉を掛けてやって欲しい。学校に行きたくないと訴える子どもがいれば、頭ごなしに叱りつけないで欲しい。子どもたちの考えていることはとても複雑で、時に大人の理解を超えているようなこともある。ただ耳を傾けてその願いを聞き入れてやって欲しいのである。このような悲劇を二度と繰り返さないためにも。
関連図書:
ヘヴン(いじめの加害者側の心理が精緻に描かれています。)
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