2010年09月21日(火) |
タリバンと米軍、どちらが真の悪なのか? |
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戦争には勝者も敗者もない。すべての市民がその犠牲者なのだとオレは思っている。その決定を行うクソどものせいでどれほど多くの血が流されたことだろうか。大統領や皇帝自身が最前線に赴いて敵弾に倒れることはない。しかし、武器を持った兵士が、その武力を市民に向けるのなら話は別だ。アフガニスタンに駐留する米軍兵士の中にこんなクソみたいな連中がいた。このことに対してオバマ大統領はどのように感じているのか。そしてアメリカの裁判所はどんな判決を下すのか。オレはそれが知りたいのである。
市民を「気晴らし」に殺害=アフガンで米兵、5人訴追−Wポスト紙
【ワシントン時事】19日付の米紙ワシントン・ポストは、アフガニスタン駐留米兵5人が今年1月から5月にかけて「気晴らし」にアフガン市民を殺害した容疑で訴追されていると報じた。
訴追資料などによると、兵士は殺人のほか遺体を撮影したり頭蓋(ずがい)骨など人骨を収集したりした容疑でも訴追された。同紙は2001年のアフガン戦争開始後、「最も身の毛がよだつ事件」と批判している。
同紙によれば、1月15日にアフガン人による攻撃をでっち上げて男性1人を射殺。これら計3件の殺人事件で5人が訴追された。事件はいずれもアフガン南部カンダハル州で起きた。米兵は酒や麻薬におぼれた揚げ句、ふざけて罪のない市民を殺害していたとみられている。(2010/09/20-12:24)
「酒や麻薬におぼれた揚げ句、ふざけて市民を殺害」という部分にオレは激しい怒りを感じたのだ。米兵にとって、市民の殺害もまた酒や麻薬同様の「娯楽」だったのである。殺人をゲーム感覚でとらえて楽しんでいるというのが米軍の本質であることを我々は理解しないといけない。
リモコンで飛ばせる無人の爆撃機をTVゲーム感覚で操作するのは、米本土にいる戦場を知らない若い兵士だったりする。その攻撃はしばしば市民への誤爆を伴うが、それに対して米軍は賠償の責任を負うことはない。
巨大な軍需産業はアメリカ経済の根幹をなす部分である。日本や中国の企業との競争に勝てずにまともな製造業がほとんど壊滅してしまったアメリカで、唯一健在なのはコストや価格の競争を必要としない軍需産業なのだ。その軍需産業の要請に従って「テロとの戦い」という名目の侵略戦争が行われることとなった。タリバンも、オサマ・ビン・ラディンもそうした軍需産業が生み出した仮想敵に過ぎない。
武器を持つ圧倒的な強者である兵士が、戦場の村で無関係な一般市民を殺害したりレイプしたり略奪したりするという状況が戦争の本質であることは不変である。それが兵士たちにとって最大の「娯楽」なのだから。そして、軍隊という世界はそうした一般社会での許されざる悪を単なる娯楽へと昇華させてしまう異常な価値観の集団である。チンギスハンの時代から日中戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争からボスニア内戦に至るまで人類は歴史に何も学ばずに愚行を繰り返してきた。ベトナム戦争の時にソンミ村で住民の大量虐殺を指揮・実行したカーリー中尉は軍事法廷で終身刑の判決を受けたが、大統領特赦で釈放されて帰郷し英雄となった。
真の悪は誰なのか。アメリカに度重なる侵略戦争を行わせ、殺人を「娯楽」と感じる兵士たちを創り出したのはいったい誰なのか。そうした価値観はどこから生まれたのか。
沖縄の基地を容認する政治家どもは、こうした米軍の本質をいったいどのように感じているのだろうか。そこに大量に駐屯する連中は、一般市民を娯楽として殺すことのできる集団なのである。
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