2010年07月22日(木) |
この暑さをなんとかしてくれ! |
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梅雨明けと共にやってきたのは強烈な暑さだった。オレは昨日も今日も、冷房の効いた部屋から一歩も外に出られないで過ごしている。それにしてもこの暑さは暴力的である。どうしてこんなに夏が暑くなってしまったのだろうか。
子どもの頃、冷房が入ってる部屋なんてなかった。クーラーのある家などなくて、友達の家に行っても扇風機が唯一の涼をとる手段だったのだ。ダイエーが進出してきて、そこに行くと冷房が効いていたのがすごく嬉しかったのを覚えている。まだ中学生くらいの頃だったっけ。そのダイエーも今はなくなって更地になってしまったのだが。世の栄枯盛衰を感じるのである。
大学の受験勉強をしていた高校3年の夏に、オレは部屋にクーラーをつけてもらった。窓に取り付けるタイプの巨大なヤツだった。確か「しろくまくん」とかいうヤツだったと思う。当時の価格で20万近くしたのだったか。後に京都で一人暮らしを始めるようになったときに、オレは部屋にあったそのクーラーをはずして運び、京都のボロアパートの部屋に取り付けたのである。京都の強烈な暑さの中で、あのクーラーがなかったらオレは生きていけなかっただろう。そこでオレが知ったことは、自分がことのほか暑さに弱いと言うことである。そのせっかくのクーラーも、クーラーをつけると電気代がかかるので、大学図書館のあいてる時間は図書館で過ごしていたのである。また、オレは夏になるたびに北海道や信州に逃避していた。結局京都にいた4年間の間に一度も祇園祭と五山送り火を見ることはなかった。京都のアパートを引き払って実家に帰ってきたとき、もちろんクーラーもはずして持ち帰った。その後壊れるまでこのクーラーはオレの部屋で活躍してくれたのである。
公立高校の教員だった10年間、もっとも苦しかったことは教室に冷房がなかったことである。その暑さの中で授業をしても逆効果のような気がしていた。夏期講習なんて拷問としか思えなかった。どうしてあんな暑いところでみんな勉強できたのだろう。今考えると全く想像がつかないのである。だから私学に移籍して、夏にひんやりと冷房の効いた教室で授業ができた時にオレは天国に来たような気分だったのだ。
しかし、地球温暖化の進行はオレの予想を超えていた。冷房のない屋外はもはや人間の居住可能な空間(エクメーネ)では無くなって居住不可能空間(アネクメーネ)となってしまったのだ。もはや存在を許さない灼熱地獄となってしまっているのである。日本中で35度以上の気温が普通に記録されるようになってしまったのだ。この異常事態に政府は何も手を打たなくて良いのか。いつまで放置プレイなんだ。
オレは日本政府のやるべき大きな仕事として、少子化対策と温暖化対策の二つがあると思っている。少子化対策については子ども手当のバラマキなどで政府は対応してるようで、もちろんその効果をオレは疑問しているのだが、温暖化対策が何もないのが困るのである。なぜこの暑さを何とかしようと思わないのか。
自然現象だから仕方がない・・・なんてことではだめだ。人間の活動の結果こんなに暑くなってしまったのである。だったら人間の工夫でもっと温度を下げられるような気もするのだ。知恵を出し合って、どうしたら都市の気温を下げられるのかということをもっと考えて欲しいのである。たとえば人工降雨とかできないのか。
東京や大阪で、毎日時間を決めて必ずスコールのように雨が降るようにすれば、かなり涼しくなるだろう。中国ではすでに人口降雨は実用化されているそうである。だったら日本でもできないことはないはずだ。ぜひとも実現して欲しいのである。
都心部の緑が少ないことも暑さの原因である。山を削ってダムを造るという環境破壊型の工事をするのではなくて、都会にじゃんじゃん木を植えて緑地を増やすという公共工事をこそすべきではないのか。自民党は田舎の票をあてにしていたから意味のないダムを造りまくったが、民主党の支持層は都会の方が多い。だったらダムを事業仕分けした分、都会の緑化事業にじゃんじゃんゼニを使ってくれてもいいだろう。そうして居住環境がよくなることは、地価の上昇につながって固定資産税を増やすことになる。だから意味のある公共事業なのである。
もしも民主党の議員どもがシャープやパナソニックから献金を受けて「暑いとクーラーがじゃんじゃん売れますから温暖化を促進してください!」などと頼まれているなら全くもって許せないのである。アメリカでは「温暖化推進」を主張する政治団体まであるそうなんだが、オレはとにかく暑いのはいやなのである。
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