江草 乗の言いたい放題
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2010年07月13日(火) いつからこんな梅雨になったんだ・・・        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

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 小学生の頃に理科の時間に習った「梅雨」の概念は「雨がしとしと降る」だったはずである。しかし、近年の梅雨は全然どういう状況ではない。今年などは特にそれが顕著である。一日中しとしと雨が降ってるという梅雨らしさが無く、降るときは豪快に激しく、降らないときは強い日差しが照りつけるという具合なのだ。

 オレは以前に「四季ではなくて二季」と書いたことがある。今、まさにそういう状況になってしまったのである。こうした状況をオレは「気候のデジタル化」と勝手に呼んでいる。昔は冬と夏の間に存在したさまざまな段階が今は存在せず、ただ「冬」「夏」のいずれかの状況があるだけになったのだ。雨も同様である。日本語には「五月雨」「こぬか雨」「霧雨」などのさまざまな雨を形容する語が存在したはずである。しかし、今の雨は、降れば豪雨、降らないとカンカン照りとまさにデジタルそのものなのだ。

 なぜこんなことになってしまったのか。それを嘆く前に、我々の生活はすでに四季の変化とは無縁の生活になってしまった。気密性の高い家で、空調が完備していて我々はオートエアコンの温度をたとえば24度に設定するだけで、常に同じ温度の環境を手に入れることが可能なのだ。室内空間はもはや「季節のない」状況なのである。

 気候変動がこれからも続けばどうなるのか。四季が二季になって、やがて一季になったらどうだろうか。一年中が「夏」とか「冬」という状況ならどうなのだろうか。地球温暖化が進行してしまえばそういう可能性も出てくるだろう。地球上のすべての土地が熱帯になってしまい、南極の氷が溶けて海面が上昇して・・・なんてことが絶対に起きないとは言えない。ゆるやかではあるが変化は確実に起きている。子どもの頃、大阪でも冬には雪が積もって、小学校のグランドで雪合戦をしたりした。今、大阪で雪が積もるなんてことは数年に一度だろう。オレが生きてきた50年に満たない時間の間でさえも、気候変動が確認できるのである。もっと長期スパンで見ればはるかに劇的な変化が起きているのだろう。梅雨が梅雨でないという些細な変化ではなくて、もっと大きな動きが何か起きているはずである。

 梅雨が梅雨でなくなった時、昔から使っているこの「梅雨」という言葉は適切なのだろうか。完全に変質してしまった時に、同じ名称を用いるわけにはいかない。今の状況を表現する別の用語が必要なのである。

 オレが子どもの頃に体験したさまざまなことを、今の子どもに語ってもきっと理解不能な部分が多いだろう。梅雨もその一つである。オレの記憶の中には、傘を差して小学校に通う道の途中で見たたくさんのカタツムリとか、道路にたくさん水たまりができてるので長靴を履いたこととか、当時のことがたくさん詰まってるのである。今の子どもはゴムの長靴なんてはかないだろう。そもそも道路に水たまりなんか無い。昔の道路は舗装なんかされてなかったのだ。深い水たまりをわざとバシャバシャ音を立てて歩く、そんな登下校の風景をオレは思い出す。まだ小学生の頃である。

 そうえいば最近「梅雨入り宣言」「梅雨明け宣言」なんてものを聞かないのだが、今でもそんな発表はあるのだろうか。誰もその発表に気を止めなくなっただけのことなんだろうか。そんなことを思ったのである。 「気候の変化+無関心」の結果、梅雨は人々の記憶からいずれ消し去られていくのではないかと。


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