江草 乗の言いたい放題
コラムニスト江草乗の日記風エッセイ クリック募金にご協力お願いします。

日記目次(検索可能)前日翌日 エンピツ投票ランキング  江草乗の写真日記  ブログ  お勧めLINKS  

ご愛読ありがとうございます。「江草乗の言いたい放題」は読者100万人を目指す社会派コラムです。一人でも多くの方が読んでくださることで、執筆意欲は倍増します。ぜひ、お友達に勧めて読者数UPにご協力ください。掲示板へのご意見の書き込みもお願いします。

2010年06月24日(木) 暴発型犯罪についての一考察        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

どうかお読みになる前に投票ありがとうございます。←応援のクリックをお願いします! m(_ _)m 


 この世で一番無敵なのは、何も失うモノを持たず、死ぬことによって失うモノが自分の命だけという存在である。

 マツダの工場内でクルマを暴走させて多くの人をはね、死者まで出すに至った事件で、殺人未遂容疑などで逮捕された引寺(ひきじ)利明容疑者(42歳)にとって、失うモノは何もなかった。彼が現在就いている時給1000円の仕事は、彼にしてみれば自分を正当に評価してくれたものではなかった。そんなものはいつでも投げ捨てられる存在だった。オレが想像したのは彼のこれまでの人生の中で、女性とつきあったことがあったのだろうかという疑問である。もしも彼が結婚して家庭を持ち、守るべき「家族」を持っていたのならこのような犯行に及ぶことは決してなかっただろう。

 40年前の高度成長の時代と、今との大きな違いは若者の非婚率の高さである。オレが小学生の頃に使った社会科の教科書は今考えると興味深い。集団就職の列車に乗り込む若者の写真があったし、大阪の運河で水上生活する人々の船の写真もあった。水上生活者は確か大阪万博の頃になくなったのじゃないか。宮本輝の小説「泥の河」に描かれた時代の終わりにオレは生まれた。あの猥雑でなつかしい時代の空気を、少なくともオレはある程度理解して育ってきたし、オレの両親はどっぷりとその時代を生きてきたのだ。

 「always〜3丁目の夕日」という映画に登場したような、集団就職で街に出てきた若者たちはおおむね20代のうちに結婚し、子供を持ち、都会の団地や長屋、文化住宅と呼ばれた集合住宅などでその生活をスタートした。あの頃と今との違いはなんだろうか。みんな貧しかったが、貧しいという点でみんな同じであり、それ以外の要素は個人の資質と能力だけだった。

 それから40年経った。何が変わったのか。それは「みんな貧しい」状況ではなくなったということである。格差がどんどん拡大した。その格差の中でも大きかったのは教育の機会格差と結婚の機会格差ではなかっただろうか。
 社会はもはや「安定」を与えてくれなくなった。競争社会に落ちこぼれてしまった若者にとって正社員としての就職が困難になってきた時、その不安定さは「結婚」の機会も奪っていった。若者の非婚率の高さは男性の正社員率の低さと密接に関連する。もちろん女性の正社員率は上昇しているかも知れないが、それは若者の非婚率をさらに上昇させるだけである。

 かつて中卒や高卒でマツダやトヨタという日本を代表するような企業の工員になるということは、給料はさほど上昇しないかも知れないが確実に生活の長期安定をもたらした。終身雇用制というのはそういうものである。会社というのは多数の従業員を抱えた大きな家族みたいなものであり、社宅があればそこでさらに共同体意識を深めることになったのである。

 なぜ日本の企業はそうしたよい部分を捨ててしまったのだろうか。なぜ欧米の真似をすることで自分たちの持っていた良きものを失ったのか。転職を多数繰り返すことは欧米ではキャリアアップなのかも知れないが、日本の場合それはマイナスの方向に働いた。

 従業員を「家族」のように大切にすることをやめ、ただの「労働資源」として必要な時にだけ使うようになった時(つまりは欧米化ということなのだが)、日本型の雇用システムは崩壊した。安定を失った若者たちは社会に投げ出されて浮遊することとなった。結婚もできず、家庭を持たずにそのまま年を重ね、いつまでも親に寄生してその年金をあてにする者や、引きこもって自分の部屋から出ない者が出現した。政府の間違った持ち家政策で供給された多くの建て売り住宅は少なくとも若者に自分の部屋という「引きこもるための空間」を用意してくれた。結果的にますます若者は孤立することになったのだ。

 かつて「お見合い」という仕組みがあった。適齢期になれば本人が望んでいなくてもまわりが適当な相手を探してきてお見合いさせ、そして結婚へと進ませた。そうして結婚しても離婚率が高いということはなかった。ちゃんと相性を考えてお見合いがセッティングされていたこともあるだろうし、すぐに子供が生まれて家庭を持てば、そこに新たな絆が生まれるものである。しかし今は「お見合い」なんてほとんど絶滅してしまったのだ。恋愛結婚の増加は、恋愛強者と弱者の格差を生み出した。お見合いという絶妙な異性の分配システムが崩壊して、若い男性はモテメンとブサメンに二極化された。モテメンに女性は集中し、ブサメンは努力しないと彼女を作れないことになった。もちろんブサメンでもちゃんと結婚して美人の妻を持ち、家庭に恵まれている人もいるが彼らはたいてい高学歴者で高収入である。高学歴・高収入ではなくても地方公務員だったりちゃんとした企業で正社員だったりする。「安定」がキーワードであり、安定なくして結婚生活はない。低学歴、低収入でしかも容姿に恵まれない男性ほど非婚率は高く、40になっても独身のままの者がどんどん増加しているのである。「だめんず」と呼ばれる男性を好んでくれる変わり者の女性はまだまだ物好きな少数派である。

 そういう背景で増加している「中年フリーター」が社会の不安定要因を高めているのだ。反社会的で暴発的な犯罪を起こす人はたいてい中年フリーターか、あるいはその予備軍である。宅間守もそうであったし、秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大もそうである。

 なぜこんな状況になってしまったのか。社会は放置すれば決してよい方向には向かわない。日本の将来の姿をどんなふうにしたいのか、政治家は明確なビジョンを持っていなければならないのだ。高度成長の頃には「所得倍増」という明確なビジョンがあった。今は何もないのである。

なぜ出生率が低下しだしたときに政府は手を打たなかったのか。なぜその原因を究明して政策的に介入しなかったのか。

 オレは今の日本の姿に確実な「滅び」を感じている。おそらくこの国はあと100年持たないだろう。その頃にはもうオレも生きてはないのだが。日本人の人口が減少した部分に入り込むのは多くの外国人であり、その多くは中国やアジアの人々である。休耕田はそのまま放棄され、過疎の山村は無人のまま朽ち果てて行く。美しい山野はどんどん形を変えてしまう。そして街中は放置されたゴミで埋まっていくだろう。かつての日本の持っていた美徳は失われ、アメリカ合衆国のような混沌が出現する。そのころにはもう日本は中国の一部になっているかも知れない。いや、アメリカ合衆国もヨーロッパも滅びて世界の覇権を中国が握ってるかも知れない。世界はやがて中国によって統一されるのだ。

 これからも暴発型犯罪は増えていくだろう。彼らがなぜ暴発するのか。それは自分の将来だけではなく。日本の将来にもまた希望が見いだせないからである。なんの希望も語れないままに政治家は選挙に勝つことだけを考え、官僚は既得権益の確保にだけご執心でみんな自分のことだけしか考えていない。そんな情けない国でオレは暮らしているのである。金もなく、権力もないオレはこうして書くことで訴えるしかないのである。

蛍川・泥の河 (新潮文庫)
小栗康平監督作品集 DVD-BOX


↑エンピツ投票ボタン。押せば続きが読めます。登録不要です。応援の投票ありがとうございます。←1位を目指しています! m(_ _)m      週刊アクセス庵もよろしく。   投票博物館


My追加
江草乗の言いたい放題 - にほんブログ村

前の日記   後の日記
江草 乗 |ファンレターと告発メール   お勧めSHOP エンピツユニオン