2010年05月31日(月) |
なんでそこまで馬鹿なのか・・・・ |
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無免許運転のクルマの屋根の上やボンネットに人を乗せて、そのままクルマを走行させ、クルマから転落した人がそのクルマにひかれて死んだとしても誰も同情しない。「あほか!」と思うだけである。ただ、この連中が無関係な市民を巻き込まなかったことが不幸中の幸いであり、こんな馬鹿な息子を持てば親は情けなくてたまらないだろうと思うのである。
読売新聞の記事を引用しよう。
ボンネット・屋根に4人…無免許大学生、1人ひく
30日午前2時20分頃、岐阜県瑞浪市稲津町小里の私道で、走っていた軽乗用車のボンネットに乗っていた多治見市の男性会社員(19)が転落。
この軽乗用車にひかれ、意識不明の重体となった。多治見署は、無免許で運転していた瑞浪市の男子大学生(18)を、自動車運転過失傷害と道交法違反(無免許)の疑いで逮捕した。
発表によると、軽乗用車には、車内に大学生を含めて3人、屋根とボンネットの上に会社員ら4人が乗っていた。7人は今春同じ高校を卒業した同級生で、いずれも18、19歳の男性。
現場は、卒業した高校の近くで、4人がふざけて屋根やボンネットに乗り、約120メートル走ったところで会社員がボンネットから転落した。軽乗用車は、7人とは別の元同級生の家族の名義だという。(2010年5月30日20時48分 読売新聞)
こんな情けない事故で死亡した場合、お葬式の時にいったいどんなお悔やみの言葉をかければいいのか。親はどんな心持ちで葬式に臨むのか。そんなことをオレは考えてしまうのだ。恥ずかしくてとても親戚や知人に顔向けできないだろう。
はねた大学生にも「無免許運転」という罪はある。しかし、人をひいたことに対しては罪が問えるだろうか。そんな状態でクルマを走らせたという時点で罪なのだろうか。しかしボンネットや屋根に乗った連中に落ち度はないのか。そんなところにしがみついていれば落ちるかも知れないというのは、まともな大人なら当然判断できることである。はねた方も馬鹿なら、はねられた方もまた馬鹿なのである。二つの馬鹿が合わさったことで起きた不幸な事件である。
オレは二人の息子を持つ父親である。若者のこういう事故のニュースを読むと、親の立場で考えてしまうのだ。もしも自分がその事故を起こした若者の親ならどれほど情けないかということを。そして、なんでこんな馬鹿なことをしでかしたのかということを。
少し前に大阪・河内長野市で向こう側のホームに渡るために陸橋を使わずに線路を直接横切ろうとしてはねられた女子高生がいたが、その事件も同じである。そんな情けない死に方をして、もちろん死んだ本人が一番悔しいわけだがそれはある意味自己責任である。そんなつまらない死に方で我が子を亡くす親の情けなさというものをオレは思うのだ。そんなこと、世間のいわゆる馬鹿息子や馬鹿娘は何も考えてないからそんな馬鹿なことができるわけだが。
どうすればこんな馬鹿の発生を防げるのか。それは教育というよりも家庭のしつけの問題だろう。まともな家に育っていればこんな馬鹿息子、馬鹿娘にはならないとオレは思うのだ。しかし、そのまともな家が急激に減少しているのが今の世相なのである。オレはいちおう息子たちをまともに育ててるつもりなんだが、それでも息子たちが親の予期せぬお馬鹿なことを100%しないとは断言できないのだ。だからこの事件は自分と無関係とは言えない。
ただ、もしも自分の息子が大変馬鹿なことをして世間様や他人に迷惑をかけた場合は、その罰は親が与えなければならないとオレは思っている。少年法なんてものがあって社会が与えてくれる罰は驚くほど軽い。しかし、そんな罰では引き合わないときもある。そんな時は親が罰を与えるしかないと思うのだ。もちろんそれは今の法律に照らし合わせれば罪になるだろう。しかし、世間に対してお詫びをするにはそれしかないと思うのである。結局のところオレは、息子がこんな馬鹿なことをしないでくれと切に願うどこにでもいる愚かな父親の一人でしかないのかも知れない。
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